鈴木砂羽 憧れすぎた宮沢りえに“ちょっと怖い”手紙を手渡した新人時代
画像を見る 94年、映画『愛の新世界』で主演デビューした鈴木砂羽

 

■三井のリハウスのCM以来、宮沢りえに夢中

 

上京後は、芸能プロダクションが併設されている俳優養成所の門をたたいた。演技のほかにも、歌やダンスなどひととおり習うことができ、女優を目指す野心の強い人たちも集まっていた。

 

「でも、何か違うと感じて……。親にお金を出してもらっていたので1年間は通ったのですが、わりとブランド志向だった私は、“名門に行ってもっと勉強したい”と文学座を目指すことに」

 

当時、朝ドラヒロインの登竜門ともいわれた文学座には、研究生の募集に数千人が集まったが、見事に合格。

 

「研究生として所属することが決まり、女優になるという夢が近くなったような気がして、短大は1年で中退しました」

 

宮沢りえの『Santa Fe』が発売されたのも、ちょうどこのころだった。

 

「当時、トップアイドルが脱ぐなんて初めてのことじゃないですか。それだけでも衝撃的なのに、写真は健康美そのもので、めちゃくちゃきれい。そもそも、私は高校時代に見た三井のリハウスのCM以来、りえちゃんに夢中でした。ありえないくらいかわいくて、実在するのか? 本当に人間なのか? と考えて呆然としてしまうほどの美少女。お母さんが日本人でお父さんがオランダ人というハーフなんですが、かなり日本人に近い。こんなハイブリッドな美しさは、逆さになってもかないません。うらやましいを通り越した存在」

 

写真集発表後、砂羽さんにとって宮沢りえは女神のような存在へ。

 

「カラオケで友達が小室哲哉さんプロデュースの『ドリームラッシュ』を歌っているのを聴くだけでテンションが上がりました」

 

さらに女神は、貴花田(現・貴乃花光司)との婚約を発表し、彼女を驚かせた。

 

「婚約のニュースをバイト先のスナックで知って震えるくらい動揺しました。それからですね、りえちゃんだけでなく、なぜかりえママからも目が離せなくなったのは」

 

テレビのワイドショーや女性週刊誌では逐一、りえやりえママの動向が報じられた。

 

「表紙に『りえ』という文字を大きく打ち出していた『女性自身』も毎号欠かさず、当時通っていたお風呂屋さんで読みました。りえちゃんが“お寿司を8貫食べた”という報道ひとつにも、いちいち感動していました」

 

砂羽さんがまだ駆け出しのころ、市原悦子さんと宮沢りえが親子役を演じる『花嫁介添人がゆく』(’90~’96年・フジテレビ系)というドラマシリーズにゲスト出演する機会に恵まれた。

 

「私なんかがおいそれと話しかけられる存在ではありませんでした。でも、あのころ、寿司を8貫食べたという記事があったのに、今は週刊誌で激ヤセと報じられるなど、すごく心配で……。それで私の出番が終わったとき、思い切って手紙を渡したんです。ただ、その内容が“一連の報道を聞いて心配” “話を聞いてあげたい”というようなことを長々と書いた偏執的なもので、今振り返ると恥ずかしさしかありません」

 

’90年代はずっと風呂なしアパートで過ごすほどの貧乏生活が続いたがーー。

 

「お風呂屋さんのお母さんが見かねて卵やキャベツをくださったり、俳優の仲間が貧乏アパートに来て、朝まで怪談話をしたり、ボロボロの中古車でドライブしたり……。毎日が楽しくて豊かでした。そんな20代の経験が女優に生かされていると思います」

 

人生経験を重ね、女優として成長した砂羽さんは、大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』(’11年、NHK)で再び宮沢りえと共演することに。

 

「撮影時は、りえちゃんとごく普通にお話しすることができました。あの手紙の送り主と、私が結びつかないことを、今でも祈っています(笑)」

 

【PROFILE】

鈴木砂羽

’72年、静岡県生まれ。’94年に、荒木経惟の写真集を原作とした映画『愛の新世界』で主演デビュー。その後も舞台、テレビドラマで幅広く活躍するかたわら、特技を生かして漫画誌でコミックエッセイの連載も。’22年の『相棒21』にて、14年ぶりに亀山薫の妻・美和子役に復帰した

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