アッと驚くマジックを披露し、力強い英語の決め台詞が印象に残るTVコマーシャル。沖縄県民には見覚えもある人も多いだろう。沖縄出身のプロマジシャン、MASA MAGIC(マサ・マジック)さん。今やショーやテレビに引っ張りだこの彼は年に何度も海外へ渡り、自身のマジックのレベルアップも怠らない。

 

「夢を持つこと」の素晴らしさを発信し続け、マジシャンとしてのキャリアを順調に積み重ねてきたかに見える彼だが、10代の頃は自身の憧れに対する葛藤と向き合えず、夢から目を背けていた時期があったという。そんな彼が壁を乗り越え、今の成功を手にしたきっかけはなんだったのか。
◇聞き手・野添侑麻(琉球新報Style編集部、イベンター)

 

ファンタジーの世界に憧れて…

 

―プロマジシャンとして県内外で活躍されています。マジックに出会ったきっかけを教えてください。

 

幼稚園の頃にテレビで見たマジック番組がきっかけです。小さい頃から「ハリー・ポッター」などの不思議なファンタジーの世界が好きでした。幼さからCG技術が理解できず、「世の中には魔法を使える人たちがいるのか!」と錯覚していました(笑)。

 

そして中学生の頃に見たセロ※1さんに憧れて、マジシャンを志すようになりました。彼のマジックは今まで見てきたものと違ってポスターからハンバーガーを出したり、腕で水槽を貫いたり、まさに魔法の世界のようで衝撃を受けました。「自分もマジシャンになって感動を届けたい!」と思い、独学でマジックを始めました。ちょうどYouTubeが出始めた時期だったので、動画を見ながら勉強していました。

 

―動画を見ただけで分かるものなんですか?

 

もちろん数回見ただけじゃわかりません。何百回も見て勉強しました。未だに仕掛けが分からないのもありますよ。何年やっていても、理解できないネタが山ほどあるので、マジックに対してずっとワクワクしていられますね。

 

―マジックにはいくつかのジャンルがあると思いますが、MASAさんは得意なマジックの種類は何ですか?

 

クロースアップマジックが得意です。いわゆるお客さんの至近距離で日常的なものを使って行うマジックの種類です。その辺にある物を使ってマジックができる人って、それこそ魔法使いのような存在だと思うんです。「目の前にあるものを使って、どんなマジックができるか」を考えるのが癖になっていますね(笑)。

 

マジック修行のため、渡米

 

―学生当時はマジックを披露する場はあったんですか?

 

子どものころは新しいマジックを習得したら、まずは両親に見せていました。家族の驚く反応が嬉しくて、その気持ちのまま翌日は友達に見せるという流れでした。中学生まではステージに立ったことはありませんでしたが、母校である沖縄尚学高校の先生たちが僕を応援してくれたことで、人前に立つ機会が増えてきたんです。

 

学内の催し物で積極的に舞台に上げてくれて、そこから広がって町のお祭りや老人ホームでボランティア公演を行うなど、活動の幅が広がってきました。当時の「多くの人前でマジックを披露する」という経験が、今の僕を形作っていると思います。

 

高校の先生や仲間たちには本当に感謝しています。小さい頃から「マジシャンになりたい」っていう気持ちはあったんですが、どこかで「そんなの一握りの人だけで、自分はなれる訳なんてない」と言い訳を自分でつくって逃げていたんです。しかも周りの友達は弁護士や医者といった夢を持っている人たちばかり。「マジシャンだなんて、バカにされるんじゃないか」と思ってしまい、夢を聞かれてもはぐらかすことが多かったんです。

 

でも、ある日友達に「お前はマジシャンになりたいんだろ。なんで自分の夢から目を背けるの?」と言われ、ハッとしたんです。その言葉が響いて自分の夢に向き合えるようになり、プロになるためにはどうしたらいいか本気で考えるようになりました。

 

すると当時の担任が「英語を身に着けて世界中の人に披露することができたら、より成長できるんじゃないか」という言葉をくれたんです。セロさんが英語でマジックをしていたことも思い出して、「英語ができると彼のように世界で活躍できるマジシャンになれるかもしれない」と思い、アメリカのコミュニティ・カレッジへ進学することを決めました。僕の中では「セロさんのようになりたい」という思いが常にありましたから。

 

―なるほど!MASAさんのショーでよく使われる英語は、アメリカ生活で培われたものだったんですね!もともと英語は得意だったんですか?

 

実は…一番苦手でした(笑)。進路が明確に決まった高2から真剣に英語の勉強を始めました。アメリカ行きを決めたもう一つの理由が、知り合いが一人もいない土地で、マジックを通してどんな繋がりや発見ができるのか、自分の力を試してみたいという気持ちもあったんです。日本にいると甘えがでてしまうのも、自分の性格上分かっていたので、修行の意味でもアメリカに渡りました。

 

―アメリカに渡り、苦労したことはありましたか?

 

うーん…苦労はなかったかもしれないです。というのも、毎日が楽しくて、多くの人と出会って、現地の人たちの文化や考え方を学ぶことができました。日本とは違う空気感を味わうことができたので、楽しい思い出しかないです。たまに危ない目に合うこともありましたが…(笑)

 

―「マジックを通して人と繋がりたい」と飛び立ったアメリカで、マジックを披露する機会はありましたか?

 

毎日マジックができる場を探して回っていました。皆、僕のことなんて知らないから誰に話しかけても怖くない(笑)。逆に誰も知らないからこそ、恥ずかしがらずに現地でもブレずに「マジシャンになりたい」と言葉にすることができた。そしたら「マジシャン志望の面白い日本人がいる」という話が広がっていきました。

 

最初は友人宅でのホームパーティーに呼んでもらうところから始まりました。そこから噂を聞きつけた街のレストランが「店内で毎週末ショーをしてほしい」と声をかけてくれたんです。留学生なので給料を頂くことはできなかったんですが、僕にとって一番の報酬は、英語を使って現地の人を相手にマジックができる環境でした。「世界で活躍するマジシャンになりたい」という目標に向けた実戦の場がほしかったので、どんなオファーも受けていました。

 

”マジックの殿堂”でプロに!

 

―アメリカで経験を積み、ハリウッドにあるマジックの聖地「マジックキャッスル」へ足を踏み入れ、プロの試験に挑戦したと聞きました。

 

毎年休みに合わせて沖縄に帰ってきていたんですが、学年が最終年になった4年目には、せっかくなので丸々1年間アメリカにいようと決めていました。そして、ずっと憧れだった奇術の殿堂「マジックキャッスル」に遊びにいったんです。世界中のマジシャンが集まりショーを行う会員制クラブです。会員じゃなきゃ中に入ることはできないんですが、外観だけでもいいから見に行こうと思ったんです。

 

現地に行くと、キャッスルでプロ試験を受けることができることを知りました。試験日は半年後の、僕がアメリカから日本に帰国する数週間前という日程でした。「アメリカでのマジック生活の集大成になる」と運命めいたものを感じ、迷わずエントリーしました。

 

キャッスル会員の知り合いのマジシャンの方がいたので、運良く建物内にも入れてもらって、試験に向けたイメージトレーニングを兼ねて憧れの地を満喫しました(笑)。夢のような時間で、「ここでショーをやりたい」っていう思いが強く湧いてきて、モチベーションも高まりました。

 

そこから半年後、再びハリウッドへ飛びました。受験者は出身国も違う12人。1人ずつ薄暗い地下に呼ばれて、4人の審査員を前にマジックを披露していきます。もちろん審査員たちも、プロのマジシャン。昔からお手本にしていた憧れの人たちばかりで、緊張で震えが止まらなかったです(笑)。彼らに「さぁ、MASA。君が13年間努力してきた集大成を見せてくれ!」と言われて試験が始まりました。僕は数あるレパートリーの中から、小学校の頃からやり続けているコインとカードを使ったマジックを披露することに決めました。

 

試験時間として15分与えられるんですが、5分過ぎた頃にストップがかかってしまい、強制的に終了させられました。事前の説明で、「ある程度マジックの実力が分かった場合は途中で打ち切ることがある。それは実力が足りない人か、これ以上見なくても実力があると判断された場合のみ行われる」と言われていたので、「俺はどっちなんだ…」とドキドキでした(笑)。審査員の人たちは拍手もしないし、表情も変えないのでどう評価されているか読めなかったんです。緊張しながら待っていると、合格が発表されました。合格者は4人で、僕はトップの成績で合格することができました。

 

憧れのセロとマジックバトル!?

 

―プロ試験にはそんな裏話があったんですね! セロさんに憧れてマジシャンを志し、無事にプロとしてデビューが決まったMASAさん。帰国後、遂に本人と対面する機会が訪れたと聞きました。

 

そうなんです! あるマジシャンのショーが沖縄であって、セロさんが友情出演するという情報を聞きました。ショーも楽しみ大満足な気持ちで帰路についていました。すると、ショーのスタッフの方から電話が入って「セロさんが、MASAくんもぜひ打ち上げに参加してほしいと言っている」という誘いをいただいたんです。実は高校生の時にも琉球新報さんに取材してもらったんですが、「セロさんに憧れてマジックを始めた」という当時の記事をそのスタッフさんが覚えていて、その旨をセロさんに話してくれたみたいで、「ぜひ会いたい!」と提案してくれたとのことでした。

 

打ち上げ会場につくと、セロさんが空いている隣の席を指差して「Come over here(こっちおいでよ)」と言ってくれて、緊張しながらお話しさせてもらいました。お酒も入って、場も盛り上がってきたところに、スタッフの方が「MASAくんとセロさんでマジックバトルしてくださいよ!」と提案してきて、急きょ対決することになったんです(笑)。

 

僕は「いつかセロさんとマジックバトルをすることになったら、このネタで挑もう」と決めていた、とっておきのマジックが1つあって、遂に本人の前で披露する時がきました。マジックの現象が終わって、周りの人たちも驚いて喜んでくれたんですが、セロさんはニヤリと笑うだけで、反応は薄かったんです。「あれ…?見破られたかな…。」と思ったんですが、本人の前で披露できただけでも嬉しかったので、その時に使ったトランプにサインをしてもらいました。そこには英語で「俺の負けだよ」とコメントが入っていました…。本当に嬉しかったです。

 

その日から僕の中でセロさんは憧れの存在ではなく、超えるべき存在に変わりました。またいつか一緒にショーをして、認めてもらう日が来るまで頑張りたいと思います。

 

―とてもすごい話ですね…。セロに憧れてマジックを始めた少年が、プロになって憧れの人に認められる。夢のある話を聞かせてもらいました。 では、今後のMASAさんの目標を教えてください。

 

今年7月にマジックキャッスルで行われたクロースアップマジックの大会「STROLLING MAGIC SHOWDOWN」で、日本人初となる優勝をすることができました。次は、2021年に行われるマジックのオリンピックと言われる「FISM」に挑戦して優勝することが目標です。また毎年、その年の一番栄えあるマジシャンに贈られる「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」という賞の受賞も目指しています。

 

またマジックをより身近な存在にするために、いつでもショーを見れる場所を沖縄に作りたいと思っています。そのためにももっと世界に出ていって、いろんな場所で僕のマジックを広げることが必要だと感じています。世界中の同世代のマジシャンにも出会いたいと思っています。沖縄のエンターテイメントに貢献することができたら嬉しいです!

 

―それでは最後にMASAさんから、沖縄の皆さんに伝えたいことはありますか?

 

「夢をあきらめない」ということを伝えたいです。夢を叶えるために、自分がなりたい姿になっているイメージをすること。そして、次に行動に移してみましょう。「行動する」ということが一番難しいことですが、自分の好きなことだときっとすぐに行動に移せると思います。そして最後まで自分のビジョンを信じることです。これが夢を叶える秘訣だと信じています。

 

―今日は夢のある素晴らしい話をありがとうございました!

 

【インタビュー後記】
MASA MAGICは、努力の人だ。そう思わずにはいられないエピソードがある。私とMASAさんは、高校時代の同級生であり2年間同じクラスで時間を過ごした。皆、彼のマジックの腕は認めていたものの、「世界で活躍するマジシャンになる」と口にする彼を、周りはからかった。何故なら彼はクラス内で英語の成績は決して良いとは言えず、むしろ下から数えたほうが早いほど…。しかし、彼は周りの雑音には目もくれず、成功するイメージを抱き、マジックの質を高めながら同時に英語も必死で勉強し、海外の大学への進学を勝ち取り、その数年後には本場ハリウッドでプロデビューもした。自らを信じ抜き、歩みを止めず、一つ一つ前向きに夢と向き合うことの尊さを教えてくれる彼は、僕らの世代では稀有な存在だと思う。この先も不可能を可能にしていく彼のサクセスストーリーを見守れることを誇りに思いながら、これからも見守っていきたい。

 

※1 セロ(Cyril)…アメリカ合衆国生まれのプロマジシャン。クロースアップマジックからステージマジックまで幅広いジャンルをこなす。2007年にマジシャン・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

 

聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)
琉球新報Style編集部。音楽と湯の町別府と川崎フロンターレを愛する92年生。18歳からロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作っている人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。沖縄市比屋根出身。

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