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「なぜ亜由がリオに行けたのか?それは私たちが知りたいくらいです。お米だけは売るほどありますが、特別なものを食べさせたわけでもありませんし」

 

恐縮してそう話すのは、陸上女子5,000m、1万mに出場する鈴木亜由子選手(24)の母・由美子さん(53)。実家は愛知県豊橋市にある大正6年創業の老舗「鈴木米穀店」。店舗奥にある居間は、まるで鈴木選手記念館。幅跳びで優勝した小4の写真から、グルリと彼女の写真や賞状が飾られ、優勝カップやトロフィーが所狭しと並んでいた。

 

亜由子さんは6歳上に姉、4歳上に兄がいる末っ子。祖父母同居の7人家族で、家族みんなにかわいがられて育った。

 

「小さいときはぜんそくがひどくて、どこに行くのも吸入器が手放せなかったんです」(由美子さん)

 

ぜんそく治療にいいからと、3歳からスイミングスクールに通い、小2から、「豊橋陸上クラブ」へ。走るのが大好きだった亜由子さんは、楽しみながら練習を続け、ぜんそくも小6のころにはよくなっていた。

 

「今から思えば、ぜんそくがあったから少ない酸素で走らざるをえなかった。陸上選手が高地トレーニングするような状況だったのでしょうか」(由美子さん)

 

地元の中学には陸上部がなく、バスケット部に所属。

 

「ホントに亜由はカッコいいですよ。走るフォームもカッコいい。バスケットでシュートする姿もカッコいい」

 

父・伸幸さん(58)は目を細め、口を開けばベタ褒めだ。亜由子さんは、バスケットと並行して、陸上クラブも続け、中2の全国中学校選手権で800mと1,500mで優勝。中3でも1,500mを制し、陸上強豪校がスカウトに来た。しかし、進んだのは進学校の県立時習館高校だった。

 

「陸上だけじゃなく、ほかのこともしたいと、時習館高校に決めてからは、ずっと勉強していました。亜由には目標に向かってコツコツ努力する才能があったようです。お父さんもそうですが、私も亜由のファンみたいなもの。姉や兄には『勉強しなさい』と、小言を言いましたが、亜由は、褒めて褒めて褒めまくりました」(由美子さん)

 

勉強も頑張って、名古屋大学経済学部へ。亜由子さんは、“旧帝大”出身初の女子五輪選手でもある。亜由子さんが大学生のころ、由美子さんは、彼女が中学卒業を前に書いた「20歳の自分へ」という手紙を見つけた。

 

「そこに、『陸上で日本代表選手になっていたらいいな』と、あって。亜由は目標があっても口にせず、オリンピックの『オ』の字も出ない子でしたが、内に秘めた願望はあったんですね」

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