02年9月22日、千秋楽で小城錦を突き落としで破る寺尾(写真:共同通信) 画像を見る

12月17日、大相撲の錣山(しころやま)親方(元関脇・寺尾)が亡くなった。60歳という若さだった。近年は持病の不整脈の影響もあり、入退院を繰り返していたという。

 

現役時代は端正な顔立ちと筋肉質な肉体、小気味よい突っ張りで絶大な人気を誇った寺尾。

 

身長186cm、体重は110キロ台と、力士としては軽量だった。79年7月場所、当時16歳で初土俵を踏み、2002年の9月場所で引退するまで通算140場所、1795回の出場を数え、“鉄人”の異名を取った。

 

体格で劣るハンディを厳しい稽古やトレーニングで乗り越えてきたが、現役最終盤は度重なる故障との闘いでもあった。引退を決めた02年9月場所の直後、伊津美夫人は当時の本誌インタビューに次のように明かしている。

 

「あの人は、秋場所の前日の稽古で、歩けないほどのギックリ腰になっていたんですよ。こんなこと、身内の人しか知りません」

 

歩行することすらままならない状態でありながら、痛みを隠して土俵を務めあげた。

 

「15日間、塩と氷で炎症を抑え、痛み止めの座薬、飲み薬、抗生物質も飲んで、20cmの中国鍼もしましたが、立つのがやっとという状態でした。痛みに耐えながら土俵に出て、花道を下がるまでは何とか自分で歩き、その後は若い人に脇を抱えられて、もう、トイレにも行けずに、這って行ったぐらいでした。それでも、最後の3日間の相撲は、負けても、私が好きないい相撲でしたね」

 

千秋楽の前日のこと。寺尾は伊津美夫人に「明日は観に来てほしい」と頼んできたという。出会って18年、はじめて言われた言葉だった。

 

「それで私もわかったんです。引退するつもりなんだなって。だから、私も言いました。『じゃあ、絶対に勝ってよね』って。もちろん、こんなことを言うのは、私もはじめてです。力士の奥さんだったら、絶対に言わない、いえ、言えない言葉ですから。勝負の世界の厳しさが骨身にしみていたら、言えません」

 

1795回目の最後の土俵を、寺尾は見事白星で飾った。伊津美夫人の“最初で最後の願い”をかなえた瞬間でもあった。

 

「私の人生はすべて寺尾でした。うちの人中心で回っていたから、今はポッカリと穴の開いたような気分なんです」

 

引退後は、錣山親方として後進の指導に当たり、昨年11月場所で優勝した阿炎らを育ててきた。

 

多くのファンを魅了した“角界の鉄人”の土俵上での姿は、私たちの記憶の中で生き続ける――。

出典元:

WEB女性自身

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