ハリウッドは、絶対的な男性優位社会。メリル・ストリープ(67)やアン・ハサウェイ(33)といった当代きっての実力派女優たちですら、“年をとるとよい役がまわってこない”とボヤくほどだ。
そんな世知辛い業界で、今から80年も前にハリウッドの年齢差別に打ち勝った女優がいた。その名はイングリッド・バーグマン(享年67)。絶頂期に「君の瞳に乾杯」の名セリフで有名な『カサブランカ』(’42年)やアルフレッド・ヒッチコック作品のヒロインとして活躍。7度のアカデミー賞ノミネート、3度の受賞歴を誇り、大女優の名をほしいままにした。
演技力が絶賛される一方で、夫と子どもがいながら不倫を繰り返した末に、既婚者の子どもを身ごもった際は猛バッシングを受け、ハリウッド追放の憂き目に遭った。
『イングリッド・バーグマン〜愛に生きた女優〜』は、’15年の生誕100周年を記念し、娘で女優のイザベラ・ロッセリーニがスティーグ・ビョークマン監督に製作を依頼したドキュメンタリー映画。物を捨てられない性格だったというイングリッドが大切に保管していた貴重なホームムービーや日記、写真、手紙のほか、イザベラを含む4人の実子や関係者の撮り下ろしインタビューを交え、ハリウッド黄金期を彩った伝説の女優の素顔を浮き彫りにしている。
そんな「世界最高の女優」の壮絶な生きざまの中で、彼女が残した名言を紹介。
【私は世界一内気だが、内には御されぬ獅子がいた】
1915年、スウェーデンのストックホルムで生まれたイングリッドは、3歳のときに母親が他界。彼女を溺愛していた父親を12歳のときに、父親に代わって彼女を育てた叔母を13歳で亡くしている。彼女は孤独感を紛らわすため、内気な自分を捨てて別人格になれる演技の世界に没頭するように。スウェーデンを出て、世界で女優として活躍したいと夢を抱くことになる。
【私は多くを望まない。ただすべてが欲しいだけ】
1937年、医師ペッター・リンドストロームと結婚し、翌年に長女ピアを出産。ところが、1939年にハリウッドの映画会社との契約の話が舞い込むと、彼女は迷うことなく夫と生まれたばかりの一人娘を母国に残し、ハリウッドへと飛び立つ。出演に備え、英語を完璧にマスターしたかいもあって、映画『別離』は大ヒット。彼女は一躍人気女優となった。
【私は一度の人生で聖女から娼婦へ。そして聖女に戻った】
1949年、不倫スキャンダルでハリウッドを追われ、再びアメリカの地に降り立ったのは、7年半後。映画『追想』の演技でニューヨーク映画批評家協会賞を受賞したときだった。謝罪を期待し、「人生で後悔は?」と聞く報道陣に「ないわ。やらずに後悔していることはあるけど」と笑顔で返答。彼女は本作で2度目のアカデミー主演女優賞も受賞している。
『イングリッド・バーグマン〜愛に生きた女優〜』でイングリッドが見せるのは、仕事と子育ての両立に苦悩しながらも、自分らしく生きることを追求し続けたひとりの女性の姿。没後30年を経ても輝き続けるイングリッドの生きざまは、現代女性たちに自分らしく生きる勇気をくれるはずだ−−。