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<この物語は、ある霊能力者をモチーフにして描かれたフィクションである。>

整理しなければならないことが山ほどあった。わかっていることは、どうやらここは明美が居た日本とさほど変わらぬ緯度上にある山間の集落であるらしいこと。そして突然現れた明美を、さっきの少年と目の前に座る男は知っている。加えて男は、〈口の大きな男〉と呼ばれる祈祷師らしきこと。そしてなにより重要なのは、そんな男の言動やなにかを、明美自身が素直に受け入れているという驚くべき現実だ。

『…そんな風にして病気を治すの?』

地球上で最も進化した社会に生まれ育った明美にとって、今目にしている光景は驚愕というより滑稽ですらある。

『…おまえたちはどうしている。…おまえの中には、ワシの知らぬ様々な知識があるようだが…命の有り様までは変わるまい。ならば病を癒すには、まずは光に曝すことから始めねばなるまい。コノ世の定めがいかに変わろうとも、アノ世の理が変ずることなどあろうはずがない』

どうやら男は、無断で明美の記憶を読んでいる。普段は明美自身が、相談者に対してしているが、いざ自分がその力に曝されてみるとなんだか少し嫌な気分になった。

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『フンッ。傲慢な女じゃ。日頃の自分を考えてみぃ。…おまえもこうして他人の記憶を掻き回しておろうが』

笑われてしまった。改めて言われるまでも無い。確かに、考えていたことを見透かされたと知った瞬間、明美は気分を悪くしたし心を半ば閉ざしてしまった。しかし次の瞬間には、普段の自分が何をしているのかと自問し、構わず心を開いていた。

『おまえに問いが無い限り語ることは無い。…見るだけのことを見るがいい。そして、問いを探せ。…おまえが必要とすれば…また会うこともあるじゃろう』

男はそれだけを伝えると不意に意識を閉ざした。その後は何も語りかけては来ず、明美がいくら意識を通わせようとしても無駄だった。

古代の治療

目の前では、いよいよ治療が佳境に差し掛かっている。痛みに悶える男の苦悶がひときわ大きくなると、揉み解していた辺りから靄のようなものが引きずり出され、そのまま〈口の大きな男〉の口から身体の中へと、まるで吸い込まれるように這いずりこんで行った。苦痛に顔を歪めた男からは強張りが取れ、いつしか静かになっている。代わりに、〈口の大きな男〉と呼ばれる男の額には、玉のような汗が噴き出していた。

「終わった。朝には歩ける」

言い終わると、〈口の大きな男〉はこうもり傘ほどもある長い煙管をくゆらせて、静かに細く長い煙を吐き出した。男が煙管に火を点けようと焚き火に顔を近付けた瞬間、思ったよりも若い男の顔が仄かな紅りに照らされて浮かび上がった。男の頬には、幾筋もの深い刺青が刻まれている。その顔に深く刻まれた文様を、暗闇の中に皺と見誤り老いと見たのだろう。その文様は…、いつか父の書斎で見た装飾古墳の直弧文のような、蜘蛛の巣のように張り巡らされた祈りの文様だった。

おそらくは先ほど口から入り込んだ黒い靄のようなものなのだろう…。口元から漂う煙草の紫煙に絡め取られた格好で引きずり出され、そのまま焚き火にくべられ掻き消されてしまった。そして横たえられた男からは、さっきまで額に浮かんでいた玉のような汗が、まるでタオルででも拭ったように綺麗に消えていた。そんな一部始終を見届けながら、明美の意識は急速に細くなり、そうして元に戻されるのだとわからされた。

連なる記憶

意識が戻った明美の目に飛び込んできたのは、壁にかかった古い時計だった。9時13分。美由紀が部屋を出て行ってから5分も経っていない。そんなものだと頭ではわかっていても、一方ではあり得ないと頑なに信じまいとする自分がいる。なぜなら、それほどに今見たビジョンは生々しく、全てが有り得ないことだらけだった。

果たしてアレは何処だったのか?

木々の切れ間から覗いた星空には、確かに見覚えがあった。と言って、天体観測など詳しいわけでは無いが、南十字星だとか…見覚えのない星空ではなかった。そして何より、〈口の大きな男〉と名乗った男には見覚えがあったし、耳には異なる彼らの言葉も、なんとはなしに聞き覚えの有るような…奇妙な懐かしさを覚えた。

シチュエーションは突飛だけれど、夢とは思えないほど、頬を弄る風も踏み締めた羊歯の感覚もリアルだった。そしてなにより、〈口の大きな男〉を我が身のように感じている。

『口の大きな男か…。きっと、あれはずっと昔の私なんだわ』

と、血の滲んだ指先を見つめながら自分を納得させると笑みが零れた。

翌朝一番に明美がしたのは、父の書斎からそれらしき資料を探すことだった。探し物は一つ。昨日見た場所。

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明美は、昨夜見た里山を覆う古森と、遙かに紅に染まった稜線までの風景が忘れられないでいた。そして、〈口の大きな男〉と称する祈祷師がいる部族が暮らす大地を、明美は少しでも知りたかった。そんな衝動に駆られた気持ちが高ぶり、昨夜は一睡もできなかった。そうして朝になったのを見計らい、明美は一人書斎に籠もっていた。

難しそうな専門書の中に、比較的新しい、日本各地の遺跡を美しいグラビア写真で紹介する写真集を見つけた。早速明美は、様々な遺跡の、さらに背景の景色に目を凝らしていく。すると、奈良盆地を紹介するページの中に、昨夜見た風景とよく似た写真を見つけた。キャプションには、『三輪山・大神神社より奈良盆地を望む』とあった。

そう言えば昨年、健作の運転する車で亜里沙を連れて奈良へ旅行に行った。そして、以前より気掛かりだった大神神社に足を運んだ。確かその際も、遠く二上山を見ながら、そこに見える景色が松山のそれと似ていると健作と二人で話したのを思い出した。

三輪山から二上山を望む。すると奈良盆地の右手に天の香久山や畝傍山が見え、遠く南正面に二こぶの二上山が望める。その姿が、奇妙に松山・道後平野の様子に似通っていることに驚いたのを覚えている。地元松山にも、天の香久山と対を成すと言い伝えられる天山という小山があり、その南方には大友山と呼ぶ、同じく二こぶの山が聳えている。言うまでも無く厳密には、それらの山の位置関係も規模も違うのだが、なんとなく目にしたときの様子が似ているのだ。

『だからなんだわ。…だからあの時、見たことも無い風景なのに妙に親しみを感じたんだわ。てことは、夕べ行ったあそこは奈良ってこと? それも、三輪山だったってことよね…』

何が嬉しいのだろう。何度も何度も、写真の奈良盆地とささくれ立った指先を交互に見比べるうちに頬が綻んでくる。見開いたページに広がる美しい奈良盆地の写真を、明美はいつまでも見つめていた。

しかしそれにしても、昨夜見た景色は…同じ奈良でも随分と時代が違った。明美を小屋まで案内した少年も、あの横柄な口を利く祈祷師も、結局明美とは言葉を使っての意思疎通はしなかった。加えて彼らは刺青を施していた。あんな姿は現代はおろか、戦国の世にあっても異様だ。だとしたら、もっと古い時代なのかもしれない。

分からないことはまだまだあるが、それでもそこが奈良であったことと、明美自身が気がかりで仕方なかった三輪山だったに違いない…という発見に気を良くした。

曾祖母の遺伝子を祖母が…。そして、父から明美へと継いだように、その曾祖母ですら遥か昔から継いだのだと、明美は長閑な奈良盆地のグラビア写真を胸に抱えて、遠く…思いを遊ばせた。

愛娘が託したもの

「お~い。俺、今どこに居ると思う? ま・つ・や・ま・だよ松山。空港に居るからどっかで飯でも食おうぜ」

健作のサプライズは、当たり前のように掛かってきた電話の第一声で始まった。健作が松山に来るなんてことは、昨夜電話で話した時も一言も聞いていない。それが、今日になって突然現れるなどと…明美は考えてもいなかった。それでも、やはり健作が来てくれたことは嬉しくて、明美は母の車を借りて市内へと向かった。

地方空港とはいえ、四方を海に囲まれた四国にとって空の玄関は重要で、人口50万人を数える松山市内の西に位置する空港は、それなりの利用客を収容するに足る近代的な空港に生まれ変わっている。

あらかじめ連絡をくれていれば迎えにも行っただろうに、すでに空港に着いているなら待ち合わせは市内の繁華街でするつもりに違いない。特に時間も場所も指定されないまま、明美は繁華街のあるお城下に向けて33号線を走っていた。

「お~い、今からバスに乗るぞ。…市駅だっけ、その辺りまで来れるか?」

走り出して間もなく健作から電話があった。ビンゴ。市駅なら20分もあれば着く。空港からなら、リムジンバスでおよそ20分。うまくすれば、市駅でパーキングを探す手間無く拾えるはずだ。

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徳川様のご親藩として栄えた城下町は、市内のほぼ中央にこんもりと盛り上がった小高い山の上に三層連立式の天主を構えた松山城を中心に市街地が広がっている。大雑把に言えば、平野部の奥まった東に道後温泉、海に面した西に港湾と空港、南に繁華街と市街地、北に大学などの教育施設と、こじんまりと整備されている。ただ、本来ならば市街地の中心になるべき場所に、JRではなく私鉄駅が在り訪れる者を混乱させた。

中の川通りを市駅前で右折し、路面表示にしたがって左へ大きくターンすると空港と市街地をピストンするリムジンバスが停車しているのが見えた。母から借りた軽自動車を、リムジンバスの後方に停車させようとするのとバスが発車するのが同じタイミングになり、すぐ目の前に所在無げに佇む健作の姿が現れた。前回、折悪しくも父の告別式となってしまった時よりも一回り大きなボストンを提げている。確かあのボストンは、一週間以上の旅行か出張の時に使っていたはず…。なんだかそれが妙だったが、そんなこと以上に久しぶりに見る健作の顔が嬉しかった。

「あ~腹へった。なんか美味しいもの食べさせてくれよ」

久しぶりに面と向かって聞かされたのは、なんとも色気の無いセリフだ。

「会うなりそれ!? 他に言うこと無いわけ!?」

「ま、それは追い追い。それよりも腹へってんだ。朝からなにも食ってないんだよな」

「なんで食べないのよ。待ってる間とか、羽田でだって食べられたでしょう」

などと、取り合えず言い咎めてはみたが、健作がお腹を空かせているであろうことは予想していたし、明美もそのつもりで何を食べるか考えながら来ていた。

「パスタ食べよ。それでいいわね」

「…いいねぇ、パスタ。俺、ピザも食べよ」

出会ったときと変わらず二人揃ってイタリアンには目が無い。目指すイタリアンは、市内に二つあるデパートのうち、国内で最も老舗とされるMデパートの裏にあるリストランテ。トラットリアほどではないが、リストランテにしてはカジュアルで、味もさることながら喫煙席があることがお気に入りの最大の理由だ。嫌煙権を声高に言われる昨今、二人揃ってどこへ行っても嫌われるヘビースモーカーだ。

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「ところで、どうしたのよ…突然」

「まあな、一人で大変なんじゃないかと思ってさ」

「なに言ってんのよ。そんなこと、健作が考えてくれてるわけ無いじゃない」

「まぁまぁ、そうムキになるなよ。…いや、一昨日の晩にさ、亜里沙が妙なこと言い出したんだよな」

「なによ。…亜里沙がどうしたっていうの?」

健作はともかく、亜里沙の名前が出てきたことに胸が騒いだ。

「亜里沙がさぁ、『ママのところに行ってあげて』って言うんだよ。なんだか、…ママが大変だってさ。で、俺、お義父さんの告別式の時もとんぼ返りしたじゃん。だから昨日、改めて忌引き取っちゃてさ。ま、会社も今、大きなプレゼン終ったところだし、忌引きだの有休だの合わせて二週間ほどお休みもらっちゃった。で、明美、なにが大変なんだ?」

「え~っ二週間も…。大丈夫なの会社? 私の方は、大変って言っても別にどうってことないわよ。亜里沙も、なに言ってるんだろ」

「あっそうだ。亜里沙が、これ持ってけって」

と健作が内ポケットから出したのは、明美が東京でリーディングをする際に使っていた黒玉だ。

「あ、…持ってきてくれたんだ…。よかった…。さすが亜里沙ね。正直、これは本当にありがたいわ」

言うが早いか、明美は健作の手からハンカチに包まれた黒玉を手に取ると、嬉しそうに手触りを確かめている。

「ほらな。やっぱり亜里沙が正しかったか。よかったな、良い娘とだんなを持って」

亜里沙が何を思ったのか真意のほどはわからないが、この間、めまぐるしく突飛な体験を繰り返し目覚ましく進化している明美に、遠く東京に居ながら感応してくれたのだろう。もしかすると、亜里沙にはまた違った意味のビジョンとメッセージが与えられたのかもしれない。健作が来てくれた以上に、その健作に黒玉を持たせてくれた娘の心遣いが嬉しく頼もしい。何がサプライズかと言って、これ以上に嬉しいサプライズはなかった。

感応

真印さんはときおり「あ、電話が掛かってくるわよ」と言い出すことがある。聞けば、電話を掛けてくる相手の名まで口にする。「さっき、不意に頭に浮かんだのよ」と。そしてほどなく、件の相手から電話が掛かってきたり、時にはその相手が直接訪ねて来たりする。古来、このような現象を「虫の知らせ」と言うが、要は「第六感」による感知にほかならない。極めて高い霊力を有する真印さんだからできる術……と思いがちだが、真印さんは「そうでは無い」と言下に否定する。曰く、現代人は「第六感」を特殊能力と考え、自らも持つ力を否定的に捉えることに慣れてしまっている、という。「ほとんどの人は感知しているにもかかわらず、あえてそこに意識を向けず気付かないまま過ごしている」と言うのだ。雑誌をめくっているときに飛び込んで来た活字や、ふと脳裏に思い浮かんだ人の顔、ラジオから聞こえてきてどうしても気になった言葉など、真印さんによれば「サインはそこかしこにある」という。「そして、そのサインを見落とさず、否定せず、ただただ信じることで、あなたの第六感は研ぎすまされていくのです」(真印さん)。

SILVA真印オフィシャルサイト

著者プロフィール

那知慧太(Keita Nachi)愛媛県松山市出身 1959年生まれ

フリーライターを経てアーティストの発掘・育成、及び音楽番組を企画・制作するなど、東京でのプロデュース活動を主とする。現在は愛媛県に在住しながら取材・執筆活動に勤しむ。『巳午』を処女作とする。

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