“サウダージ”というポルトガル語をご存じだろうか。「憧憬」とも訳される、ふるさとを懐かしむような気持ちのことだ。日本とブラジルという2つのふるさとを持つ、ボサノヴァの女王・小野リサさん(56)。
デビュー当時は、ブラジルへの思いを歌に込めてきたが、母となってからは、日本の歌を歌うことが多くなった。子どもたちと過ごす「ふるさと」への思い。その場所を守るために、リサさんは日々の暮らしを整え、子どもたちへのいとおしさから、歌が生まれてくる――。
6月16日正午過ぎの前橋市民文化会館。大ホールのステージでは照明が落とされたなか、リハーサルが行われていた。
「私のソロは、どこから入るんだっけ?」。リサさんの問いかけに、外国人も交じったバンドメンバー6人が口々に答えると、「アイム・オッケー。この曲は、アップテンポだけれど、ていねいにいきたいのでよろしく」。
リサさんは日本語と英語、ときに流暢なポルトガル語などを巧みに使い分けながら会話していく。さすがブラジル生まれで、帰国後は10代からステージに立ち「ボサノヴァの女王」と呼ばれ、現在はアジアでも大人気という国際色豊かな音楽歴を感じさせる。
今年は、ちょうどデビューから30周年だが、同時にボサノヴァ誕生60年、日本人のブラジル移住110年など、いくつもの節目が重なって、例年になく精力的な音楽活動が続いている。
「今日の公演を終えたら、明日は朝一番で香港でのコンサートに向けて旅立ちます。その後も、北海道、長崎、上海……」
午後4時半、ジャズの『帰ってくれたら嬉しいわ』でステージは幕を開けた。途中、ボサノヴァの名曲『イパネマの娘』『波』などで会場を盛り上げて、第2部へ。
「音楽活動30周年で、新たに日本語のアルバム『旅 そして ふるさと』をリリースしました。次はその中から『小樽運河』です」
ボサノヴァにアレンジされた演歌やフォークも交えて2時間近く歌い続け、アンコールに用意されていたのは、すっかり定番となった『いのちの歌』。竹内まりや作詞の同曲は、人生の意味を問いかける名作としてカバーも多く、早くもスタンダードになりつつある。
「歌うと、いつも胸がいっぱいになる曲です。聴いてください」
リサさんの哀調を帯びた歌声に、会場は先ほどとは打って変わり、ハンカチを取り出す光景があちこちで見られた。リサさん自身、歌い終えたときには、そっと目頭をぬぐうしぐさが見られた。
数日前の本誌のインタビューで、「母親としての思いも込めて歌っています」との言葉が思い出される。歌詞の中に「ふるさと」と出てくるが、ブラジルと日本という2つのルーツを持つ彼女が歌いながら思い描くふるさととは、どんな光景なのだろう。
’89年6月、全曲ポルトガル語のファーストアルバム『カトピリ』が出ると、「日本人初のボサノヴァシンガー」として注目され、すぐにビール会社はじめ7社ものCMで彼女の楽曲が使われ、「小野リサ現象」と評された。
’91年、’92年と連続してアルバムが日本ゴールドディスク大賞ジャズ部門賞を受賞し、名実ともにボサノヴァの女王となる。以降、年1枚ペースで、ポルトガル語のアルバムを発表。
’02年、日本人ミュージシャンと結婚して長男が、2年後には次男が誕生。’07年、長女誕生のときは、45歳での高齢出産として話題にもなった。
「子どもを持ったとき、家庭第一にしようと決めました。迷いはありませんでした。ただし私は、音楽は10代からやっているプロでも、子育ては最初はやっぱりアマチュアだったので、自分のイメージどおりにいかないことがあまりに多かった。ですから、世の中のお母さんたちを、本当にすごいとも思いましたね」
そんな母親になっての幾多の体験があって、あの『いのちの歌』での情感のこもった歌唱につながっているのだ。7年前には、3人の子を自分の手で育てていくという“人生の選択”もした。
「いまは、自分自身はまず早寝早起きを心がけ、同居する母、近くに住む妹にも助けてもらって、母親業と歌手を両立させています」
母親の和子さん(82)は、娘が音楽を追究する姿をずっと見守り、いまは子育てを支える。
「リサは、中学生のときには、ギターを習うために、慕っていた女性奏者のいた九州まで、1人で通った子。そんな頑張り屋ですから、いまは子育ても、子ども3人で3倍、奮闘しています。私は陰でできることをするだけです」
妹の里笑さん(51)は、先日のリサさんの香港公演のときも、泊りがけで姉の自宅を訪れている。
「母も80過ぎて高齢ですからね、私はあくまでもヘルプ。でも、行くと3人のやんちゃ盛りの子どもたちのボスザルになります(笑)。姉は、なんでも一生懸命。私なんか、お兄ちゃんたちのお昼には『学食でパンでも買って』とお金を渡しますが、姉はちゃんと早起きして、お弁当を作っている。その背中を見ていますから、子どもたち3人も、ママの歌手活動を応援しています」
リサさん本人は、やはりブラジル流の子育てを実践しているのかと思いきや……。
「自分の子ども時代をふり返って、伸び伸びとしたブラジルの子育ては魅力的ですが、いま、うちの子たちは日本で育っているわけですから、日本の社会に合った子育てをするべきと思っています」
この猛暑の中、前述のとおり、自身の30周年コンサートなどがタイトなスケジュールで続いており、母や妹も心配していたのが、何より健康面だった。
「元気です! 筋トレは、もう20年間続けてます。ストレス発散は子どもたちとの旅行。ふだんは叱ってばかりでも(笑)、ただ一緒にご飯を食べるのが楽しいんです」
最後に、気になっていたことを尋ねた。『いのちの歌』で「ふるさと」と歌うとき、リサさんが脳裏に思い描く光景とは――。
「幼い日のブラジルの雄大な夕焼けだったり、昨日も見た日本の包み込むような夕焼けだったり。2つのふるさとを胸に、これからも曲や人々との出会いを大切にしならが歌い続けていきます」