“学校に通った最初の役者”とも言われている二代目市川猿之助(写真:アフロ) 画像を見る

四代目市川猿之助による心中事件から約2カ月、いまだ歌舞伎界の激震は続いている。子供が老いた両親を……、そんな悲劇とともに、人々の記憶に刻まれることになった屋号「澤瀉屋(おもだかや)」。彼らは傍流であるがゆえに、常に革新を求め続けなければならず、ときには邪道と批判されることもあった。四代目が襲名するまで、「神様にも等しい」と憧れていた“猿之助”という名跡の宿命をあらためて振り返る。

 

掃除の行き届いた大きな墓には、白菊などが数本供えられているばかりだった。東京・上野にある寛永寺。その敷地の一角にある墓石に刻まれているのは「喜熨斗累世墓」の文字。

 

「喜熨斗(きのし)」は代々、歌舞伎俳優を輩出してきた一家の本名。この墓に二代目市川猿之助やその子、三代目市川段四郎らが眠っている。

 

だが突然死去した四代目市川段四郎さん(享年76)と妻・延子さん(享年75)、2人の遺骨は2カ月近くが経過したいま(※7月6日時点)も納められてはいない。そのためか四十九日にあたる7月5日も冒頭のような寂しい様子だった。

 

両親とともに、長男で澤瀉屋の看板俳優・四代目市川猿之助(47、以下四代目)が東京都目黒区の自宅で倒れているのが発見されたのは5月18日のことだった。

 

帰らぬ人になってしまった両親。いっぽう命に別条のなかった四代目は6月27日、母の自殺をほう助した容疑で逮捕。さらに7月18日には、父・段四郎さんへの自殺ほう助容疑で再逮捕された。本人は取調べに対し「一家心中を図った」といった主旨の供述を繰り返しているという。

 

「本当に衝撃を受けました」、そう語るのは、演劇評論家の犬丸治さん。半世紀以上、歌舞伎の舞台を見続けてきた犬丸さんだが、事件の一報にふれた直後に見た芝居では「出演者のセリフが自分の体をすり抜けていくようでした。その虚無感から、しばらくの間、脱することができなかった」という。

 

「段四郎さんは時代物でも世話物でも、舞台に登場するだけでその場が引き締まる、どっしりと重厚な、存在感のある役者でした。あのような最期を迎えてしまったことが残念でなりません」

 

それほどの名優であるにもかかわらず、葬儀も四十九日法要もきちんと行われていない現状は、関係者にとって痛恨の極みに違いない。逮捕された四代目についても、犬丸さんは無念の表情を浮かべ、言葉を継いだ。

 

「四代目は芝居も上手だし、頭もキレる。だから戯曲を読み込むことはもちろん、自分で再構成することもできる。プロデュース能力にも長けていて、その幅広い人脈から、一門以外、それこそ歌舞伎界以外からでも演者を引っ張ってくることもできたのです」

 

歌舞伎界に激震が走った一家心中事件。当の澤瀉屋自体は激震どころか「存亡の危機に直面している」と話す者もいる。匿名を条件に取材に応じた澤瀉屋出身俳優は、声をひそめ、こう打ち明けた。

 

「いまの澤瀉屋は泥舟です。よその家に“鞍替え”を画策する若いお弟子も少なくないと聞いています。昨年は中車さん(香川照之)の性加害事件も報じられました。澤瀉屋は呪われているのかも……」

 

現在は容疑者となった四代目は襲名時のインタビューで、自分が背負って立つことになった澤瀉屋の特性を次のように語っていた。

 

《澤瀉屋代々のDNAに組み込まれているのは前例にとらわれない自由な精神。(中略)前例のないことをやるには障害はつきもので、実現するには反骨精神が必要》(『文藝春秋』2012年7月号)

 

今回の「シリーズ人間」は、猿之助4代にまつわる悲劇と宿縁の歴史を、彼らを突き動かしてきた反骨心を鍵にひもといていくーー。

 

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