半世紀以上生きた私は、30年近くをオーストラリアで過ごしてきた。気が付けば、日本よりもオーストラリア居住の方が、長くなっていたのである。
母は、そんな娘をどんな思いで見てきたのだろうか。
夫との結婚は、事後報告し、幼い息子を抱え夫と別れる時も、また、日豪の子供誘拐防止法に関する法律の立場の違いから、丸3年間日本に帰れなかった時も母は、いつも電話口で私を励ましてくれた。
「どんなことがあっても日は、必ず昇るからね。」と。
母は、息子と一緒に里帰りが出来るようになっても、私に日本に帰って来いとは、一度も言わなかった。
ところが、そんな母が、2007年4月、前作の「THEダイエット!」撮影時にカメラの前で初めて自分の気持ちを吐露した。
「帰ってくることを待ち焦がれている。」
映画の中で<ああ、私は、やっぱり日本人だ>と再認識した私には、絶妙なタイミングでの母の私に対する思いだった。その時初めて、長い間激動の人生を生きる娘を応援し、見守ってくれていた母の思いに応えたいと思った・・・
しかし、私には、大きな障害があった。オーストラリアにいる息子の父親が、息子のことをWATCH LIST(※1)に載せているため、息子が、18歳になるまでは、息子を勝手にオーストラリアの国外から連れ出すことは、出来ない。
息子は、当時まだ8歳だった。息子とは、離れられない。
転機となった2009年が、明けた。「THEダイエット!」の日本での配給が決まり、私だけ頻繁に帰国して母と過ごす時間が、多くなった。2世帯住宅の2階に妹一家がいるとは言え、母は、基本的には、母屋で一人暮らしだ。今までにも<2度と思い出せない物忘れ>、<風呂嫌い>、<同じ話しの繰り返し>、<料理嫌い>など母の変化には、薄々気づいていたが、映画に出たことをすっかり忘れてしまっているのには、驚いた。
つまり、母には、私が、何のために直々帰って来ているのか、全く分からなくなっていた!
それと同時に、突然に私の前には、何だか今までとは、違う母がいるような気がした。いや、私が知らない母、とでも言ったらいいのか。率直にズケズケ物を言い、私の下ネタ・ジョークにもケラケラと笑う母、である。あれ〜、どうなってんの?以前は、死んだ父と私の下ネタ・ジョークをあれほど嫌っていたのに・・・
と思った瞬間、私は、気づかされた。
母は、私の次作の被写体以外の何者でもないことが。
母が、認知症だから撮るのではない。認知症を通して母は、色々なモノ、コトを削ぎ落とし、何だかスゴイ人間になりつつある。そんな母を、娘であり、監督である私が、撮りたいと思っている。そんな風に思えた。
母は、まだまだ此岸にしがみついている私をさっさと置いて、すでに彼岸に向かって歩き始めているんじゃないか。
そんな思いから新作を「此岸、彼岸」と呼ぶことにした。
※注1: Watch List:国際的な子の奪取の民事面に関する条約。元夫が、シドニーで家庭裁判所を通して申請し、息子の名前が、WATCH LISTに記載されたのは、日本がこの条約に同意していない為で、オーストラリアでは、申請のあった子供の名前をWATCH LISTに記載し、その子供が18歳までは不法に国外から連れ出されないよう警戒している。
ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸 彼岸』一覧