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8月某日 東京

 

リオ五輪のサッカー競技でも無事優勝を果たした招致国ブラジルでしたが、先日、イタリアから日本へ戻る飛行機の中で、ブラジルのサッカー選手ペレの伝記映画『ペレ 伝説の誕生』を見ました。実在の人物をテーマにした映画作品というのは基本的に得意ではないのと、監督が米国人ということで眉唾だったのですが、この映画で少年ペレの父親役を演じているのが私の好きなブラジルのミュージシャンだったこともあり、最初は時間つぶし的な気持ちで見始めたに過ぎなかったのですが、これがエンディングまでかなり熱中できる作品でした。

 

1950年、リオデジャネイロはFIFAワールドカップの開催地として選ばれ、それを機に、巨額を掛けて今回のリオオリンピックでの式典やサッカー競技に使われた巨大な競技場『マラカナンスタジアム』が作られました。しかし、ブラジル国民の多大なる期待を背負って最終戦まで勝ち進んだブラジルのナショナルチームは、決勝ではウルグアイに負けて収集のつかない屈辱を強いられます。中には会場で自殺してしまう人やショックで亡くなる人が出るくらい、この惨敗はブラジル社会全体に大ショックをもたらすこととなり、 “マラカナンの悲劇”として歴史にも刻まれてしまいます。

 

この試合の様子をスラム街の住民たちと一緒にラジオで聞いていた少年ペレは当時9歳。ブラジルが負けた事で酷く落ち込む父親に「悲しまないで、いつか僕がブラジルをワールドカップで優勝させてあげるから」と声をかけたエピソードは有名ですが、実際ペレはそれから8年後のワールドカップに若干17歳で出場し、6得点も挙げてブラジルを勝利に導いたのでした。

 

しかしこの映画は、決してペレの偉業のみにスポットを当てた仕様にはなっているわけではありません。“マラカナンの悲劇”で勝利を逃した試合では、ブラジルチームに3人の黒人選手が混ざっていましたが、人種差別がまだ激しかったこの時代、敗戦の理由や怒りをこの選手たちに向けた国民も少なくなかったと言われます。

 

実際ブラジルのナショナルチームの監督も、自分たちのチームの欠点は野性的なものにあると考え、試合のストラテジーも欧州のチームのように理論的な構造のものへと変えようと計ります。しかし、様々な社会環境から選出された選手の中には本能的にサッカーを身につけ、理屈での理解を不得手とする人も当然いました。スラム街の曲がりくねった狭い路地で、裸足でサンバを踊るように洗濯物を丸めたボールを蹴ってきたペレの“ジンガ”というリズミカルなプレイスタイルも、当然監督からは野蛮だと規制を受けてしまいます。そしてペレも、一生懸命に理論的な動きを解釈しようと試みますが、全く彼の本来持っている実力が発揮されません。しかもナショナルチームにはペレの他にもそういう選手が何人もいるので、他国の選手団からは頭からバカにされてしまう始末。若く、多感な少年ペレは、悩み苦しみ途中でサッカーを諦める方向にも向かいかけます。

 

しかし、1958年のW杯ではエリートで強豪であるスウェーデンチームとの対戦中に、ペレは監督から執拗に受けていた指示を無視して、それまで抑えられていた例の“ジンガ”スタイルを独断で初めてしまいます。それに触発された他のブラジルチームの選手も皆でそのペレが生み出す禁断のリズムに乗って一気に封印していた自信を取り戻し、先述したようにペレによる6つのゴールによって奇跡のような勝利を果たすのです。つまりルールやら規則、そして理論的な解釈というものの拘束から解かれる事が、実は大きな結果を招く場合もある、という事を伝える内容の映画だったわけです。

 

この映画にはヒロイン的な女性も一切出て来ませんし、恋愛沙汰もなく、どちらかというと男性向きのストイックで技術的な面にも焦点の当てられた完全なサッカー映画ですが、特殊である自分を世間に認めさせていく、そのパワーがなんとも痛快な展開になっていて、見終わった後にとても良い心地になりました(そして私が大好きな、寡黙で温厚で謙虚でありながらも男前のペレのお父さん役のセウ・ジョルジは相変わらずとっても素敵でした)。

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ところで、このペレの映画を見ている間に、脳裏に自然に思い浮かんできた人物が何人かいます。例えば、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズも、社会のルールやマナーに反する態度や、非合理的で斬新過ぎる発想で、敷かれたレールの上をしっかりと歩いている人たちを翻弄しまくった厄介で嫌な男ではありましたが、最終的にはそんな彼を排除せずに忍耐で支え続けた人々が周りにいてくれたおかげで、アップルは世紀の大企業へと躍進します。ペレとは生きる環境が違っても、長いものに巻かれようとはせず、非難されて周りから孤立してしまっても、悩んで打ち拉がれても、自分の発想への確信を貫き続けたという意味で、2人はとても似ているように思われました。要は、精神的にどんな葛藤があろうとも、決して譲れない断固とした特異性を持ちながらも、それを最終的には認めさせる力を持った人々を世は天才と呼ぶのでしょう。

 

ペレの映画で精神的栄養補給をして日本に戻って来た私は翌日に「シン・ゴジラ」を見に行ったのですが、思いがけず、この映画でもまた、時には合理性や筋の通った理論や既存の方式を重視する人々からは避けられがちにもなる、特殊な技能や発想というものが、いざというときにどれだけのパワーを秘めているのかを確認させられ、更に感慨深くなりました。この映画はあらゆる側面に及んで高い評価を受けていますし、エンターテインメントとしても俯瞰での社会考察としても素晴らしいクオリティの作品だと思っていますが、私がそんな中でも特に熱くなったのは上記のような部分だったかもしれません。そもそも、こんなゴジラ作品を生み出した庵野監督自身も、そういう意味ではペレやジョブズのように、繊細な感性と勇気と説得力を持った特異人と言えるでしょう。

 

最近発行された私のエッセイ『マスラオ礼賛』では、私の独断で、まさにそういう要素を持っていると感じられた男性や、または個人的に影響を強くうけた世の中的にはちょっと変わっているとされる男性について綴っておりますので、宜しかったらどうぞお手に取って見て下さい。

 

気がつけば8月も終盤、リオのオリンピックも幕を閉じました。これから年末まではいつも通りだと瞬く間に時間が過ぎていってしまいますが、とりあえずこの2つの映画からもらったパワーでまだまだ頑張ります。

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