image

9月某日 ポルトガル・リスボン

6年ぶりにポルトガルのリスボンの家へメンテナンスのために帰っていました。

 

シリアからイタリアを経由してポルトガルに引っ越しをしたのは2004年のことですが、購入した時点でこの家は既に築80年を越えていたので、そう考えるともうかれこれ100歳になりかけの建造物ということになります。

 

ポルトガルにある古い建物はほぼ木造ですから老朽化も激しいですし、自然の影響に対しても全体的に脆い。最近でこそコンクリートの立派なマンションも増えてはきましたが、それでも、私の暮らすこの地域にはこうした木造の古い佇まいの集合住宅が幾つも残っていますし、住民たちは何度も何度も改装を重ねつつ大切に維持しながら暮らし続けているのでした。

 

しかし、家というのは人間の体と同じで、人間が暮らしながらしょっちゅう気を配っていればダメージは免れられるのに、放ったらかしておくと見事にガタガタになってしまいます。我が家も事前にお掃除屋さんに入ってはもらったものの、それでもあらゆる場所に粘土化した埃が堆積し、天井や壁には強烈な黴がはびこって、えらい有様になっておりました。

 

玄関の扉も木製の窓枠も湿気で形がゆがんでしっかり閉まらず、そのせいで隙間風が吹き込み、フローリングも何の衝撃によるものなのか、数カ所板が?がれていました。家というのも生き物と同じく、メンテナンスのみではなく、常に絶え間ない愛情を注いでいないと、いくらでも荒んでしまうものであることを痛感した次第。

 

掃除をするにも、どこから手をつけて良いか判らないまま、家の中をうろうろしていてまず目についたのは、私が仕事場として使っていた部屋にあった漫画の画材です。

 

そういえば、私がこの家を去った2010年、この家でアイロンがけをしているときに閃いて、友達作家を笑わせる目的のためだけにのんきに描き始めたはずの漫画『テルマエ・ロマエ』の1巻が急激に売れ始め、マンガ大賞やら手塚治虫文化賞短編賞などを立て続けに受賞し、連載も増え、おまけに旦那の暮らすシカゴに引っ越しもしなければならず、それら全てと向き合っていた私の頭と体は完全に正常のバランスを失っていました。そして、シカゴ行きの飛行機が発つ間際、私は疲労が原因でぶっ倒れてリスボンの病院に搬送されてしまったのです。

 

だから、この家を最後に去った時、私は自分の周辺の整理整頓を全て終らすことができずにいたのでした。

 

あれから6年、その当時の怒濤の有様が生々しく仕事部屋に滞っているのを見て、私は何も考えずに即座に手当たり次第机の上や引き出しの中にあった漫画道具を全部ゴミ袋に突っ込みました。

 

膨大な枚数のラフも使いかけのスクリントーンも全てゴミ袋。懐かしいとか、勿体無いなんていう執着の類いの感情はとにかく皆無。ただひたすら、それまで穏やかだったリスボンの暮らしが、『テルマエ・ロマエ』の思わぬヒットによって大きくひっくり返されつつあった苦々しい形跡を取り去りたい、という思いの赴くまま、私は仕事場のものをことごとく処理しまくったのでした。

image

うちの素っ頓狂なイタリア家族を描写したエッセイ漫画『モーレツ!イタリア家族』も『ルミとマヤとその周辺』という昭和を舞台にした作品も、そして先述の『テルマエ・ロマエ』もすべて約7年に渡るこの家で暮らしている時に描かれた漫画ですが、それらの漫画はどれも、穏やかな日々の中、何となく描きたくなって、どこかの雑誌で掲載されれば御の字だけど、まあどっちでもいいや、程度の緩い気持ちで生まれてきたものばかりでした。

 

あの頃は、日本の情報もろくに入って来る事は無く、私は日々、風光明媚なリスボンのご近所や街中や海辺をぶらぶらとさまよい歩き、時々子供の通っている現地の小学校の用事に出かけたり、自分のペースで漫画や絵を描きながら、慎ましくも毎日ほんのりとした幸福感を味わえる暮らしをしていたのです。

 

SNSも大して関心が無かったので、PC越しに大勢の人々のざわめきや知りたいわけでもない様々な情報に気を取られることもなく、自分の精神状態も平和だったと言えるでしょう。そしてそんな平和な心地を保っていたからこそ、描けたのがそういった漫画作品だったように思われるのです。

 

漫画道具をことごとく捨てた後、今度は仕事部屋や寝室、そして子供の部屋の本棚に、シカゴに送りきれなかった膨大な数の書籍、とくに漫画本を見て茫然自失状態に陥りました。シカゴにも大半を送っているわけですから、となると、よくもここまで集めた、というほどの量になります。リスボンには日本語の本を扱う古本屋があるわけでもないので、思い切って廃棄しようかと思いかけるも、ふと手が止まりました。

 

考えてみたら自分の人生において、リスボンに暮らしていた時ほど漫画本を読んだ時期はありません。とにかく漫画という媒体そのものが面白くて仕方なくなってしまい、日本から送ってもらっては、1ページ1ページ哲学書でも捲るように時間をかけて大切に読んでいました。

 

これが日本だったら未練も持たずに捨ててしまえたのかもしれませんが、自分にとって大事な栄養素だったことを思うと、どうもやはりこれらの漫画本をここから全て排除する勇気は出て来ません。

 

かつて友人の作家たちがリスボンまで遊びに来た時にも、「自分の家では何だかゆったりとした気分で読めないから」と私の本棚にある漫画をだらだらと読み耽り、だらだらと作品について談義したこともありました。そう考えると、時間の焦燥を感じさせず、日々生きるのに経済との繋がりを無理強いしてくる感覚もないこの街は、まさに漫画家が漫画をしみじみと読むのに実は最適な環境だったりするのかもしれません。

 

〝リスボン日本漫画図書館〟として(とはいっても所蔵しているのは一定の期間に発行された、私の嗜好性にかたよったもの限定ですが)このままここに保管し続けておくのもアリだなあ、そしてここでまた、気負いなくマイペースに過ごせる日々を取り戻せたら良いなあ、なんて思いが巡る中、窓の外のどこまでも抜けるような青い空を眺めながら、潮の香りの混じった風を感じつつ、意を決して進めるはずだった掃除は、結局ちっともはかどる気配が無いのでありました。

 

家のメンテナンスのつもりが、自分自身のメンテナンスにもなった今回のリスボンの自宅への帰省。日々様々な思惑や、不安や、そしてやらなければならない事でいっぱいいっぱいになってしまった時など、かつて自分が沢山の元気と安泰を奉仕してもらった場所に戻って、ほんの些細な事からでも幸せを感じ、穏やかに過ごす事のできていた時代を顧みる、という行為も人生には何度かあって良いことなのかもしれません。

関連カテゴリー: