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3月某日 東京

 

やっと冬の気配が遠ざかり、ふと東京の仕事場から見下ろした隣家の庭の桜も、いつの間にやら開花しておりました。あら綺麗、と思ったのもつかの間、桜の花というのは美しくもありながら、はかない時の流れを煽る効果もあるようで、日々のドタバタに拍車が掛かっております。

 

そんな中、テレビをつければ毎日書類の書き換えは誰が指示しただのしないだの、あいつのせいだのそうでないのだとイイ年をしたおじさん方のぐたぐたの論争が相変わらず続いておりますが、春といえば心を改め新しいスタートを踏み切る時期です。新入学、新社会人、クラス替え、引っ越し、そして欧米では復活祭。どこもかしこも世の中は“新しさ”“新規”の空気に充ち満ちています。ですから、この改ざん文書問題を含む森友学園のあれこれについても、もういいかげん潔く、スッキリさせてもらいたいところです。体中に薄汚れた垢を附着させたまま、老廃物を溜め込んだまま、冬を越えてやっとのことで開花した眩く美しい桜を見上げたくはありませんからね。

 

新たなスタートということで、本日3月20日、私の古代タイムスリップもの新連載『オリンピア・キュクロス』が『グランド・ジャンプ』(集英社)という雑誌でスタート致します。初回68ページ、しかも隔週ということで、ただでさえ忙しい自分の首を絞めてしまいながらもどうしても久々にバカバカしい何かを描きたい、まず自分で読んで笑いたい、という強い思いに駆られてなんとかここまで漕ぎ着けました。もちろん世知辛いこんなご時世だからこそ、何か楽しい漫画をという思いが募った上での決意だったのですが、漫画というのは絵のうまさ、派手なストーリーだけで面白くなるとは限りません。

 

この新連載執筆中、私はそんなことを示唆される1冊の漫画本に出会いました。『プリニウス』(新潮社)の連載担当編集者から「是非お読み下さい」と送られて来たその本のタイトルは『大家さんと僕』というものです。自分の著書では怖くて滅多に検索しませんが、アマゾンのレビューを見ると、なんと5つ星のうちの4.9、つまり殆どの読者が5つ星レベルで面白かったと評価している快作です。アマゾンのレビューはまあ軽く参考にする程度でよいと普段は思っているのですが、ここまで果てしなくオール5に近いランキングだとそれはそれで、やはりかなりの説得力とインパクトがあります。

 

申し訳ないのですが私はテレビタレントにも疎く、実は著者のカラテカ・矢部太郎さんのこともそんなに詳しくは存じ上げておりませんでした。まあ、ある意味、何の先入観もなく、一人の漫画家の作品として読んだわけですけども〝おお〟と驚いたのは、漫画を生業にしていない矢部さんが描く絵。大らかで柔らかく緩い〝絵〟が、大家さんと矢部さんとの味わい深い日常を綴った内容を表すために生み出された〝ことば〟に見えたということです。視覚で入ってくる絵柄とその内容との調和は見事で、この漫画からはもしかするとα波みたいなものが出ているのかもしれません。読み始めたとたんに、ちょっとしたメンタル・リハビリ効果みたいなものがはっきりと感じられました。

 

内容は矢部さんが間借りをした家の大家さんと赤の他人であるはずの矢部さんとの日常を描いたものですが、私はこれを読んで“まだ日本という社会にも、他人が他人を心の底から思いやれるゆとりがあったのだ”ということを知って、思わず泣いてしまいました。

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不安材料の多い今の日本もこの漫画で変わるかも

かつて私も自分の『ルミとマヤとその周辺』という昭和50年代を舞台にした漫画で、こうした他人との関わりに焦点を当てた作品を描きましたが、どうしても時代を昭和にせざるを得なかったのは、今の日本の社会に、他人へ世話を焼ける人のゆとりというものを感じ取れなかったからです。

 

私は早いうちからイタリアに移り住み、その後は中東のシリアやポルトガルなど、やたらと他人とのコミュニケーションやおせっかいが当たり前に横行する社会で長く過ごしてきました。そのせいもあって、日本のコンビニで店員さんから「いらっしゃいませ」と言われて「はい、どうも」と返答すると「えっ、ヤマザキさん、何返事してるの!?」と思われる環境に少し違和感を抱いておりました。

 

また周囲とは違う自分の資質を一生懸命に隠し、空気を頑張って読んで、社会生活という暗黙の“社会性マニュアル”に沿った生き方を、日本という環境は何気なく人々に推奨しています。自分なりにそんな社会にも順応して生きていますが、子供の頃から他の人と足並みの揃わない生き方をしてきた変わりものの人間にとっては、かなり至難の業でもあるのです

 

そんな“社会性マニュアル”通りに生きていくのがつらいのは、私みたいなちょっとボーダーレスな人間の他にも、高齢者の方たちが当てはまるかもしれません。私も自分の母を見ていると、その言動はどんどん自由になって、時にはかつては抑えられていたはずの身勝手さやプライドもどんどん露見して、一緒にいると辟易することも少なくありません。そうすると彼女と時間を過ごすのには、それなりの気合いと覚悟と忍耐が必要になってくるわけです。

 

『大家さんと僕』の大家さんは、私の母に比べるとずっと節度もあり、お上品でかわいらしい方です。ですが高齢者という括りで私の母と共通しているのは、やはりどこか淋しさを身にまとった孤独な存在だということです。

 

そんな大家さんにとって完璧な他人である矢部さんは、彼女のことが気になって仕方がありません。この漫画にはそんな大家さんと矢部さんというちょっと特異な組み合わせの2人が、何気なく支え合って生きている様子が、押し付けがましさ感ゼロの、どこまでも飄々、淡々とした絵と展開で描かれているのです。

 

ときには血の繋がった家族同士、または夫婦間ですら得られない相手に対しての、相手の人生に対してのリスペクトがこの2人にはしっかりと芽生えている、その関係性に私は心底から感心し、心打たれてしまうようです。この社会で孤独に陥りがちな環境における二人のあり方ですが、さりげなく意識を向け合うそれぞれの生き方に私には羨望のようなものが感じられました。

 

漫画の影響力というのは残念ながら、なかなか読み手の人格そのものを変化させるまでには及びませんが、それでも視野を今迄より少し広げたり、意識の引き出しを一個増やすくらいの効果はもたらします。この漫画の影響で他人との繋がりのタガを外す人が増えてくれたら、不安材料の多い今の日本も、もしかするとそれなりに面白いものになるかもしれません。高齢化が進む今の、そしてこれからの日本にとって何よりも必要なのは、こういうことなんじゃないでしょうかね。

 

桜の木の下で、癒しや安心を与えてくれる“α派漫画”『大家さんと僕』を読んでみるのもいいかもしれませんよ。