「横綱になって今年で8年になりますが、やっとこの1〜2年で伸び伸びと相撲が取れるようになったというか、横綱に慣れてきたような気がします。横綱になってまだ右も左もわからないころ、昨年1月に亡くなった大鵬親方(第48代横綱大鵬=納谷幸喜さん・享年72)の自宅におじゃまして2人で3〜4時間話をしたことがありました。そのとき親方は『横綱というのは宿命だ』と」
そう語るのは第69代横綱・白鵬関(28)。15歳の来日から14年。白鵬関は、モンゴルと日本を「二つの祖国」と呼ぶ。白鵬翔関(ムンフバト・ダヴァジャルガル)は’85年3月11日生まれで、モンゴル国の首都・ウランバートル市出身。
「どんな“宿命”なのかたずねると『横綱には後がない。負ければ引退だ。だから、私は横綱に昇進したときから引退を考えていた』と言われたんです。大関は2場所連続負け越して、大関から陥落しても相撲を取り続けることができる。しかし、横綱はそうはいかない。大横綱、名横綱といえども負ければ引退するしかない。なってみて初めてわかったことなんですが、横綱の“地位”と“責任”はそれくらい重いんですね」
白鵬関は、’04年の五月場所に19歳1カ月の若さで入幕。3年後の五月場所で全勝優勝して第69代横綱に昇進した。
「日本へ来て今年で14年。これまで数多くの方との出会いがありましたけど、大鵬親方との出会いは本当に大きかった。親方は私にとって『日本のお父さん』でした。史上最多の32回優勝された親方は、誰よりも勝つことの難しさ、大変さを知っていたと思います。大鵬親方からは『横綱はただ強いだけ、勝つだけではダメだ』ということも教えていただきました」
大鵬親方は亡くなるまで、日本赤十字社を通じて血液運搬車『大鵬号』を70台寄贈している。白鵬関も親方の遺志を継ぎ、2月21日に血液運搬車を寄贈した。また、白鵬関は東日本大震災で被災した人たちを励まそうと、今も時間を見つけては被災地に足を運ぶよう心掛けている。こうしたことも横綱の“務め”だと白鵬関は言う。
「同じような意味で『日本の国技』である相撲の普及にも力を入れています。モンゴルで国技といわれるのは、相撲、競馬、弓射の三つです。親父は、この三つがなくなればモンゴル国はあっても『世界から国として認められなくなる』といつも言っていました。私は、日本から相撲がなくなったら『この国は終わったも同じだ』と思っています」
相撲の普及活動のひとつとして始めた子供相撲『白鵬杯』は今年で4回目を迎えた。両国国技館で行なわれた今回は、モンゴルと日本に加えて韓国と中国の子供たちも参加し大成功に終わった。
「もっといろいろな国の子供たちに参加してもらえるよう働きかけていきたい。世界中の子供たちが日本の相撲を通じて交流を深めていくことは世界平和にもつながると思うし、いろいろな国の子供たちと触れ合うことで子供たちの世界が大きく広がっていくと信じています」