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世界を席巻した「ビートルマニア」の50周年記念リリース『THE U.S. BOX』発売決定!

カリフォルニア州ハリウッド——2013年12月12日

1964年2月7日、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に到着したビートルズは、はじめてアメリカの土を踏むジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの姿をひと目見ようと、ゲートに押しかけた大勢のファンの絶叫とため息に出迎えられた。その2夜後、2月9日の日曜日には、アメリカで7400万人、カナダでも数百万人の視聴者がチャンネルをCBSに合わせ、「エド・サリヴァン・ショウ」でアメリカのTVデビューを飾るビートルズを観た。今も史上もっとも多くの人々に視聴されたTVイヴェントのひとつに数えられているこの生放送番組で、ビートルズは5曲を披露し、それを機に本国のイギリスではすでに熱狂的なピークを迎えていた「ビートルマニア」が、アメリカ全土、さらには全世界で一気に爆発した。ブリティッシュ・インヴェイジョンがはじまったのだ。

こうした歴史的イヴェントの50周年を記念して、1964年の《ミート・ザ・ビートルズ》から1970年の《ヘイ・ジュード》まで、全13作のCDを収めたビートルズの新たなコレクション、《The U.S. BOX》(オリジナル・タイトルThe U.S. Albums)が1月20日にリリースされる(北米では1月21日/日本盤発売  1月22日予定)。

ビートルズのアメリカ盤LPは、曲目、ミックス、タイトル、アートワークなど、さまざまな面でイギリス盤とは異なっていた。ステレオ・オンリーの《ザ・ビートルズ・ストーリー》と《ヘイ・ジュード》をのぞくと、アルバムはすべてモノとステレオで提供される。インナー・スリーヴもふくめ、オリジナル盤のジャケット・デザインを忠実に再現した全13作のCDボックス・セットには、ビートルズの写真や当時のプロモーション・アートに加え、アメリカの作家にしてTV局重役のビル・フラナガンによる書き下ろしのエッセイを収めた64ページのブックレットがついてくる。個々のアルバムはすべて(オーディオ・ドキュメンタリー・アルバムの《ザ・ビートルズ・ストーリー》をのぞき)、期間限定で単独でも購入が可能だ(分売は輸入盤のみ)。《ハード・デイズ・ナイト(オリジナル・サウンドトラック)》、《ザ・ビートルズ・ストーリー》、《イエスタデイ・アンド・トゥデイ》、《ヘイ・ジュード》、そしてアメリカ版の《リボルバー》は、今回が初のCD化となる。

ビートルズがまだアメリカ上陸を果たしていなかった1963年末の時点で、「ビートルマニア」はすでに大西洋をわたり、アメリカにも根を張っていた。12月の初頭には「ニューヨーク・タイムズ」紙が日曜版で特集記事を組み、「CBSイヴニング・ニュース」がリヴァプールから登場した若手バンドをめぐる前代未聞の熱狂について、深く掘り下げたレポートをオンエアしていた。アメリカ中のラジオ局が、リスナーの尽きせぬ欲求を満たすために、イギリスにおけるビートルズの最新シングルをほぼノンストップのローテーションでかけはじめた。キャピトル・レコードはスケジュールを3週間前倒しにして、〈抱きしめたい〉のアメリカ盤シングル(B面は〈ディス・ボーイ〉)を、イギリスでのリリースから1か月後にあたる12月26日に臨時発売する。アメリカ盤シングルの売り上げは、10日とたたずに100万枚を超えた。

1964年1月3日、キャピトルは〈プリーズ・プリーズ・ミー〉(B面は〈フロム・ミー・トゥ・ユー〉)をリリースし、1月20日にはキャピトルからのファースト・アルバム《ミート・ザ・ビートルズ!》がそのあとにつづいた。イギリスで5週連続首位を記録した〈抱きしめたい〉は、2月1日に全米シングル・チャートの首位に立つと、7週連続でその座を守り、《ミート・ザ・ビートルズ!》の売り上げは、2か月とたたずに350万枚を超えた。

2月7日、ビートルズがニューヨークに到着した際の興奮は——彼らは空港で、およそ3000人の恍惚としたファンに出迎えられた——世界的な報道機関によってドキュメントされ、ニュース速報や写真が電撃のごとく、世界中に送信された。ビートルズの動き、そして彼らの発した言葉は、ひとつ残らずニュースになり——チャーミングでウィットに富む、スタイリッシュなイギリスの青年たちと、彼らのしびれるような新曲を求めてやまない少女たちのハートを溶かした。当時のアメリカを代表する大スター、エルヴィス・プレスリーは、全国放送のTVデビューを飾る彼らに成功祈願の電報を送った。

エド・サリヴァンはビートルズの忘れがたい初紹介のなかで、前代未聞の熱狂に触れ、「さて、昨日から今日にかけて、われわれの劇場は、全国からやってきた新聞記者や何百人ものカメラマンでごった返していますが、ヴェテランぞろいの彼らも、『ビートルズ』と称するリヴァプール出身の若者たちが巻き起こす興奮は、この街がかつて目撃したことのないものだ、というわたしの意見に同意しています」と言った。

初出演の「エド・サリヴァン・ショウ」で北米を虜にしたビートルズは、その後ワシントンDCに移動し、2月11日には周囲を取り囲む8000人のファンを相手に、ワシントン・コロシアムで初のアメリカ公演。翌日にはニューヨークにもどり、満員札止めのカーネギー・ホールで2回公演をおこなった。2月16日にはフロリダ州マイアミビーチのデューヴィル・ホテルからの生中継で、「エド・サリヴァン・ショウ」に2度目の出演。この回の視聴率も、1週間前の初出演時に負けず劣らず強力で、およそ7000万人の視聴者——アメリカの人口の40パーセント——がチャンネルを合わせ、6曲を演奏する彼らの姿を観た。2月22日、イギリスに凱旋したビートルズは午前7時にロンドンのヒースロー空港に到着し、およそ1万人のファンの歓迎を受けた。

ビートルズは今や、世界一人気のある、世界一有名なバンドとしての地位をしっかり確保していた。彼らが3度目に「エド・サリヴァン・ショウ」に出演したのは2月23日のことで、その際に披露された3曲は、バンドの生放送デビューに先だって録画されたものだった。1964年4月5日づけの「ビルボード」ホット100シングル・チャートにはビートルズの曲が12曲ランクされ、それどころかトップ5を独占していた。空前絶後の快挙である。「ビートルマニア」が世界を席巻するなか、バンドは急速に比類のない名声を獲得し、無限の可能性を持つ、驚異的な存在となっていた。ビートルズは今や大衆のものとなり、普遍的に愛される音楽と、世界中のあらゆる人々に対する愛と平和を提唱する、揺るぎのない人類愛によって、その後もずっとそうありつづけている。

レコーディング・アカデミー、AEGエーリック・ヴェンチャーズ、およびCBSは、ビートルズが「エド・サリヴァン・ショウ」で画期的なデビューを飾った日付と時間からちょうど50年後にあたる2月9日、日曜日の午後8時に、2時間のプライムタイム・エンターテインメント特番 “The Night That Changed America: A GRAMMY® Salute To The Beatles” をオンエアすると発表した。この特番では音楽界を代表する大スターたちが、HDTVおよび5.1サラウンド・サウンドでビートルズ・ナンバーを披露する予定だ。

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