「いつか立ち直った石川県を両陛下に」親族が犠牲になった“左手のピアニスト”が語る復興への闘い
画像を見る 左手でピアノを演奏する黒崎菜保子さん(写真提供:黒崎菜保子さん)

 

■「雅子さまの『陛下もピアノをなさるのですよ』というお言葉に驚きました」

 

「2月の連休に、珠洲市にある夫の実家を訪れていた際に地震がありました。震度4でしたが、ヒビが入り、少し傾いている家屋は、ミシミシとすごい音を立てて揺れたのです。“これが震度7だったら”と思うと強い恐怖を感じました」

 

そう語るのは、野々市市在住の“左手のピアニスト”こと黒崎菜保子さん(61)。4歳からピアノを弾き始めた黒崎さんは、大阪音楽大学に進学し、卒業後は石川県内で音楽教員として勤めていた。だが36歳のとき黒崎さんを異変が襲った。

 

「右手の中指が、徐々に上がらなくなって、症状がどんどん悪化し、手のひらを広げても、自然に閉まってしまうようになったのです。地元のお医者さんに見てもらったのですが、原因はわからずじまいでした。東京のいい病院をすすめてくれる人もいましたが、2人の子供の育児もあり、通院するのは難しかった。それで20年もの間、ピアノから離れていたのです」

 

そして運命的な出会いがあった。脳溢血のために右手の自由を失いながらも、左手だけでピアノを弾き続けている舘野泉さんのコンサートが石川県であったのだ。

 

「音が深く、作りが大きい舘野先生の音楽に魅了されました。それからまたピアノに向かうようになったのです」

 

’18年には石川県で舘野さんも審査員の1人となった“左手のピアニストのためのオーディション”が開催され、黒崎さんは2度目の挑戦で審査員特別賞を受賞。短期大学で非常勤講師を務めるなど、ピアノを教える日々を送っていた。

 

「オーディションがきっかけで、作曲家の方たちともお知り合いになることができました。 さらに昨年には、天皇陛下と雅子さまの前でステージに立たせていただけることになったのです。

 

ほかの楽器の方たちとのアンサンブルでしたので非常に緊張しましたが、演奏後は、両陛下とお話しすることもできました。

 

雅子さまが『左手で弾いていらっしゃいましたよね』と、おっしゃると、陛下も『私も左手の曲を知っていますよ。ラヴェル(フランスの作曲家、モーリス・ラヴェル)の「左手のためのピアノ協奏曲」という曲がありますよね』と。

 

この曲は本当に音楽に詳しくないと知らないような曲なのに、陛下がご存じで驚きました。また雅子さまの『陛下もピアノをなさるのですよ』というお言葉にもびっくりしました。もちろん陛下がビオラを演奏されることは存じ上げていたのですが。思わず『いつか陛下のピアノをお聴きしたいです』と、申し上げました」

 

両陛下の前での演奏、そして語らいのひととき……、黒崎さんにとって“宝物のような時間”だった。

 

だがそれから2カ月半後――。

 

「珠洲市にある夫の実家は空き家でしたが、お墓参りもあり、よく行っていました。また珠洲市には夫の親戚たちも暮らしていました。震災直後、心配した夫が次男と車で珠洲市に向かったのです。道に亀裂が入り、がれきがあったりで迂回しながら向かい、到着するのに15時間もかかったそうです。

 

そして叔父といとこが犠牲になったことがわかりました。地震発生時、叔父といとこは、こたつに入っていましたが、2階が落ちてきて下敷きになってしまったのです。いとこの遺体は引き出すことができたのですが、叔父のほうはなかなか引き出すこともできなかったのです。火葬する場所もなく、金沢の葬祭業者さんが、2人の遺体を引き取りに来て、金沢で荼毘に付されました……」

 

震災発生からすでに2カ月がたとうとしている。しかし、

 

「両陛下は早々に、被災地を訪問するご意向を示されましたが、同時に“災害対応の支障になってはならない”ともお考えでした。慎重に検討された結果、3月下旬に日帰りで、珠洲市や輪島市などを視察されたり、被災者と懇談されたりする予定と報じられています」(前出・皇室担当記者)

 

能登半島では、いまだ通行止めになっている道路や、上下水道が復旧していない地域も多い。黒崎さんはこう語る。

 

「水道が復旧していないことが大変で、うちの親戚の多くは金沢方面で避難生活を送っています。家を片付けたいという親戚もいますが、80歳の高齢者がとても手を出せる状態ではありません。

 

珠洲市内は宿泊場所もないので、ボランティアの方たちも、金沢方面からやってきて、1日に数時間しか作業ができないのが現状です」

 

“途方に暮れるばかり”という黒崎さんだが、すでに“能登復興のための活動”も始めていた。

 

「1月末に、野々市市でチャリティコンサートに参加させていただきました。出演予定者が被災で演奏できなくなり、お誘いいただいたのです。こんな状況で何人集まるだろうかと思っていましたが、140人もの人々が来てくださって、全額を郵便局を通じて石川県に寄付させていただきました。

 

これからもチャリティコンサートには積極的に参加していきたいです。被害の大きかった地域でもコンサートができればよいのですが、今は難しいですね。ピアノが置いてある珠洲市のホールは、だいぶヒビが入っていました」

 

復旧すら先が見えない現状だが、黒崎さんにとって両陛下の存在は希望になっているという。

 

「昨年10月に来県いただいたとき、沿道には3時間あまりも前から多くの人たちが待っていて、“ひとめお会いできてよかった”と、みんな喜んでいました。被災地の人たちはみんな不安を抱えています。でも、両陛下のお姿を見ることができたら、きっと元気が出ると思います」

 

取材の最後に、黒崎さんはこう語ってくれた。

 

「正直な気持ちを言えば、石川県の復興には、とても時間がかかるでしょう。それでも、天皇陛下と雅子さまには、いつか立ち直った石川県も見ていただきたいです」

 

長い時間をかけ、多彩な文化を育んできた石川県の人々。天皇皇后両陛下の被災地への祈りをよりどころにして、彼らが底力を見せる復興への歩みはすでに始まっているーー。

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