14歳で亡くなった娘の人生を10万字の冊子に…母語る娘の言葉
画像を見る みやびさんと椿ちゃん。12歳の誕生日にシャンメリーで乾杯

 

■「夫、SNSで関わった人、支えてくれた人がたくさん。つなげてくれたのは椿だと思う」

 

2月7日のこと。前日に葬儀を終え、みやびさんたち家族は、椿さんが使っていた部屋の片付けをしていた。

 

「そこに病院に持参していたカバンがあって。『この中も整理せんといけんね』って。じつは椿、使ったティッシュとか、食べ残したお菓子とか、平気でどこにでも入れておく癖があったから。そしたら、本当にそんなゴミが出てきて『ほら、やっぱり』なんて3人で、笑ったり、泣いたりしながら……」

 

そのカバンのポケットに入っていたのが、小さなメモ帳だった。

 

「『どうせ使っていないやつよな』と言いながら、何げなく、本当に何げなく、でもなぜか私、後ろ側からパッと開いたんです。そうしたらそこに『ママ!!』って、椿の書いた文字が……、目に飛び込んできて……、不意に、椿から呼びかけられたみたいな気がして……」

 

メモ帳には、1ページに1フレーズずつ大きな、でも震える線で、次の言葉が書き連ねてあった。

 

〈ママ!!〉
〈大好きだよ〉
〈愛してるよ〉
〈必死におうえんしてる〉
〈いつでも見てるよ〉
〈天国かじごくで〉
〈だから〉
〈がんばって立ち直って〉
〈あの世でまたあそぼ?〉

 

ページをめくるみやびさんの目から、みるみる涙があふれていた。

 

「びっくりして、でも、うれしくて。声を上げて泣きました。泣きながら、いろんな思いが湧いてきてしまって。『いったいいつ書いたの?』とか、『どうしてこんなこと書けたの?』とか。死を前にしてすごく怖かったろうに、そんなことおくびにも出さずに私を気遣う言葉を書き残したあの子が誇らしく、そしていっそういとおしく思えました」

 

そうふり返った母の目に、あの日と同じ大粒の涙が光っていた。

 

「いまも気持ちは結婚したときと同じ。これからもみやびさん、楓くん、それに心の中では椿ちゃんも、家族みなで一緒に、幸せになりたいと思ってます」

 

こう話すのは、みやびさんの現在の夫・晋志さん。2人が出会ったのは、5年ほど前。車のイベントでのことだった。

 

「子供たちへの理解や配慮もすごくあって、それで一緒になりたいと思いました、子供たちもすぐに懐いて。椿なんて『晋くんみたいな優しい人、世の中にいたの?』なんて言ってたぐらいです」

 

晋志さんがいてくれたからこそ、みやびさんは冊子『病気と共に生きる』を著すことができたという。

 

「椿がいなくなってしまって以降、旦那さんは毎日、仕事先から電話をくれて。その助けがあったから、私は立ち直れた。旦那さんがいなければ、書けなかったと思います」

 

さらに、SNSの世界にも、彼女をサポートする人たちがいた。

 

「ツイッターやインスタで、私たち母娘のことに関わってくれた方がたくさんいて。それは、すごくありがたい、特別なことだと思うんです。たくさんの方から励ましのメッセージもいただき、冊子も購入していただいて、本当に支えになりましたから。でも、私とその人たちとをつなげてくれたのは椿です。きっと『ママが寂しくないように』ってあの子が導いてくれたんだと思います」

 

あの日から1年が過ぎ、冊子を書き上げたことで、みやびさんは「自分の思いも少し整理できました」とほほ笑む。そこで「いま、椿ちゃんにかけてあげたい言葉は?」と尋ねると、彼女はふたたび目頭を押さえ、答えるまでにゆっくり時間をかけた。そして、涙を拭い、もう一度、にこりと笑みを浮かべ、こう言った。

 

「待っててね。次、会ったときは、全力で遊ぼうね」

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