「真摯で純真な人だった」一周忌迎えた三浦春馬さんの残した愛
画像を見る 玄関には三浦さんとのツーショットが(撮影:田山達之)

 

■徹底的にASLの情報を学び、命をテーマに演じた

 

「春馬さんがお亡くなりになって、それは本当に悲しいことですが、“拓人”として、いまだに多くの患者さんが生きるための支援を続けているんです」

 

東京都立神経病院リハビリテーション科の本間武蔵さん(59)は語る。

 

芸能関係者やファンの間で、’14年の『僕のいた時間』(フジテレビ系)を、三浦春馬さんのドラマにおける代表作として挙げる人は多い。

 

三浦さん演じるALS(筋萎縮性側索硬化症)を患った大学生の主人公・澤田拓人の壮絶な闘病の日々を通じて、「今を生きる」ことを社会に問いかけた秀作。制作には日本ALS協会も協力した。

 

三浦さん自らドラマの企画を立ち上げ、プロデューサーにも、「“命”を題材にしたドラマをやりたいんです」 と掛け合って番組を実現させたという。

 

本間さんが三浦さんと出会ったのは、自身が開発した“マイボイス”(声を失ったALS患者などのためのコミュニケーションツール)の使い方の演技指導の場だった。

 

「19時のお約束が、撮影が延びて実際に春馬さんがやってきたのは23時過ぎ。第一印象はとても痩せていて、もう体力も収録で使い切り、スタッフに肩を支えられるようにして入ってこられた姿に驚いたのを、鮮明に記憶しています。それが、いざ指導が始まると、パッと表情が一変して、そこにいたのは、“生きていこうとする拓人”だったんです」

 

放映から7年が過ぎた今も、『僕のいた時間』の影響は大きいと本間さんは語る。

 

「ALSに関する情報収集など下準備を徹底していた春馬さんの演技があまりにリアルで、ドラマを見ていて“もしや自分も”と気付き、病気を早期発見できた患者さんもいらっしゃいます。三浦春馬という役者さんは、拓人として、今も患者さんを救いながら生きているんですね」

 

ドラマの最終話、拓人が語るセリフは、今となっては、そのまま命について真剣に考え続けた三浦さんの言葉として胸に響く。

 

「僕が僕であり続けるにはどうしたらいいんだろう。そうなったとき、僕を支えてくれるのは、それまでの生きた時間、僕のいた時間 なんじゃないか」

 

■三浦さんの愛は、今なお続いている

 

彼が生前にさまざまな活動を通じて注いできた愛情は、ここにきて実を結びつつある。

 

今年5月、アミューズから「三浦春馬支援」に関して報告がなされた。これは、彼の死後、新たに設立されたラオス支援等の基金だ。

 

《このたび第一回目の支援として、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN様を通じ、ラオ・フレンズ小児病院内にて使用される以下の医療物資を購入・寄贈させていただくことを決定いたしました》

 

リストには、注射器、新生児血液採取用針、マスクなどが並ぶ。同時に、フレンズJAPAN代表の赤尾和美さんのコメントから、三浦さんの生前の活動の様子がうかがえる。

 

《春馬さんはご多忙の中、年に1度は必ずラオスの現地へ赴き、(略)同じ目線で「何ができるだろうか」と真剣に考えてくださったことにラオス人スタッフも感動していました》

 

4,000キロ離れたラオスの地でも、子供たちを笑顔にしていたのは、何より三浦さんの「温かいお気持ち」だったそうだ。

 

三浦さんは遠くへと旅立ったが、「人間・三浦春馬」が出会いの場で残した言葉や思い出は、これからも人々の心に寄り添い、励まし続けるだろう。

 

(文:堀ノ内雅一/取材:堀ノ内雅一、小野建史、鈴木利宗)

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