はるな愛 父は「男だろ!」とビンタ…自分らしさ封印した幼年期
画像を見る 85年末の紅白で『天使のウィンク』を歌う松田聖子

 

■聖子さんがかけてくれた、まさかの言葉

 

歌自慢の子どもが出場する番組のために、東京に行く機会も多かったこの時期、はるなさんは同行した祖母と一緒に、聖子の住まいを訪れたことがある。

 

「遠くで見るだけのつもりだったんですが、たまたま配達があって、家の人が出てきたんです」

 

思わず祖母が「孫がひと目、松田聖子さんに会いたくて、大阪から出てきたんです」と声をかけると、「ちょっと待ってください」と言われ、しばらくすると女性が。

 

「それが聖子さんのお母様の一子さんで『よかったら、中へ入ってください』とリビングに通してくれて、オレンジジュースまで出してくれたんです」

 

はるなさんが聖子のものまねをしている話にも、耳を傾けてくれたという。

 

「『ごめんね。昨日は雨でドラマの撮影が中止になったから、家にいたんだけど……』とのことで、あいにくその日、聖子さんはいらっしゃらなかったんですが、数年後、はるな愛になって、コンサートの楽屋にお邪魔したとき、聖子さんが『男の子のときに、家に来てくれたんだよね』って!」

 

’89年、17歳のときに、念願のレコードデビューを果たしたはるなさん。

 

「両親が何百万円か用意してくれて、自費で『チャンス』という曲をリリースしました。衣装は聖子さんの『Strawberry Time』(’87年)のときのものをモチーフに。できれば『大西賢示』という男らしい名前も変えたかったんですが、父の反対もあり、『大西ケンジ』としました」

 

当時、うめだ花月で、コントのつなぎ目の歌のコーナー「ポケットミュージカルス」に出演していた縁で、応援してくれた人も。

 

「イベントのときは吉本の芸人さんが来て、たくさんレコードを買ってくれました。近所のダイエーにも自分で『ものまねでテレビにも出ています』と売り込んでステージをやらせてもらったり。でも、実家の押入れには大量の在庫がありました(笑)」

 

下積み時代を経て、’90年代の半ばになると、少しずつテレビの仕事が増えていき、’07年にものまね芸“エアあやや”でブレーク。

 

「テレビでアイドルを見られたから、女の子になりたいという悩み、いじめに苦しんだ現実を乗り越え、夢をかなえるモチベーションが持てました。だから私はテレビに出るとき“悩んだり落ち込んでいる人が笑顔で元気になれるようにしよう”って、心がけているんです」

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