渡辺さんとの出会いについても語ってくれた郁恵さん 画像を見る

【前編】榊原郁恵 夫の渡辺徹さん最期の“会話”と、喪失の“今”を独占告白120分より続く

 

あまりにも突然の別れ。だからなかなか受け入れられないんです、と榊原郁恵さん(64)。

 

太陽のような明るさで家族や周囲を照らしてくれた渡辺徹さん(享年61)。だが、笑顔の陰には、病魔との闘いがあった。

 

ときには無理なほどの節制を渡辺さんに求めたこともある。それは郁恵さんにとっても、つらいことだったに違いない。

 

いま、渡辺さんは天国から「おれたち、頑張ったよな」と郁恵さんにほほ笑みかけているだろう。

 

■郁恵さんが23歳のとき渡辺さんと初対面。2人は交際を重ね、結婚。家族に恵まれて

 

2人の出会いは、郁恵さんが『ザ・トップテン』の司会をしているとき。渡辺さんは『約束』(82年)が大ヒットして、番組に登場したのだった。

 

雑誌のインタビューなどで渡辺さんは、郁恵さんとの第一印象を『挨拶したのに、無視された』と、冗談交じりに回想している。

 

「『適当にあしらわれた』なんて(笑)。でも、私は全然、そんなつもりがなくて、挨拶をされた記憶がないんです。司会進行の確認などをしていたので、気づかなかっただけなんだと思います。

 

向こうは向こうで私の印象が悪かったようですが、反対に、私のほうも主人のことを“軽い人だな”って思っていました。歌がヒットしてたびたび番組にも来ましたが、そのたびに太ったりしていたので、最大限の嫌みとして『ずいぶん、丸くなりましたね』なんて言ってみたり」

 

“軽い人”のイメージは、84年、ドラマ『風の中のあいつ』で共演したことで、プラスのイメージに反転した。

 

「俳優仲間やスタッフにも分け隔てなく明るく接する様子を、私は一歩引いたところから見て“居心地のいい空間を作る人だな”って思うようになったんです」

 

劇団出身の渡辺さんには現場マネージャーがついておらず、スタッフとも直接、スケジュールのやりとりをしているし、ファンとも気軽に交流を持ち、受け取ったお弁当をその場で食べていた。

 

「これまで接したことがないタイプだったので、驚きもあり、惹かれていったんでしょうね」

 

渡辺さんも、郁恵さんのことを気になり始めたのだろう。

 

「ドラマ撮影の途中、私は舞台『ピーター・パン』の出演のために1カ月ほどお休みしたんです。そのときも『近くで撮影があったから、顔を出しに来たんだ』って、楽屋まで来てくれたりしました」

 

渡辺さんからは電話番号を渡されていたため、郁恵さんはお礼の電話をしたかった。

 

「でも、ホリプロは厳しく、都内で寮生活をしていたころから『親、きょうだい以外には自分の電話番号を伝えてはいけない』と言われていて(笑)。悩みながら、電話したんですが、ドラマの収録が終わるころには、毎日のように電話をするようになったと思います」

 

有名人カップルであったが、隠れてデートすることはなかったという。

 

「母と住む私の家に主人が来て、近場の公園や、レストランに行ったり。遠出といっても横浜ですが、主人が出演した映画のロケ地があって『おれはこういう芝居をしたんだ』という説明をされたことも。お付き合いしたてのころは、なんでも楽しいですからね。

 

人間関係などを含め、私の世界を広げてくれるいい男友達という感覚だったんです。でも、私のほうが年上だし、25歳と、当時の結婚適齢期だったため、主人は最初から結婚を視野に入れて、覚悟してお付き合いを始めたそうです」

 

結婚後、長男で俳優の渡辺裕太さん、次男と2人の子供に恵まれた。

 

「主人はとっても優しい人なので、子供を猫っかわいがりすると思ったんですが、お父さんとしての出番はあまりなかったんです。私も主人も仕事が忙しく、同居している私の母が、子供たちの親代わりのように接してくれたんです。渡辺家にとっても、裕太は初孫。渡辺のお父さんはかちんこちんに緊張しながら、抱っこして、かわいがってくれて。

 

あとになって主人に聞くと『おれがいろいろ子育てしたら、おじいちゃんとおばあちゃんの楽しみを奪っちゃうだろ』と話してくれました。『なにを都合のいいことを』なんて笑いましたが、きっと本心だったんでしょうね」

 

幸せな家族の時間が流れたが、一方で渡辺さんが病気と向き合い、郁恵さんが伴走する日々でもあった。

 

次ページ >病室で還暦を迎えた渡辺さんは息子たちから贈られた赤いブリーフに大喜び

【関連画像】

関連カテゴリー: