青少年健全育成運動のシンボル「愛のシーサー」 画像を見る

那覇市泉崎の県議会棟そばにある「愛のシーサー公園」には、入り口と池の中央にシーサーがいますが、どれが愛のシーサーなんでしょうか?
(那覇市 LOVELY LADY)

 

愛のシーサー公園入り口には赤いシーサー、池の中央には3体のシーサーがいますね。調査員は、どれが愛のシーサーなのか考えたこともありませんでした。

 

まずは県に問い合わせたところ、愛のシーサーは父、母、子を表す3体のシーサーのことでした。かつて「愛のシーサーの会」という組織があり、青少年の健全育成を目的に寄付を募り、1995年に建立したとのこと。愛のシーサーは那覇地方検察庁の元検事正だった小林永和(ひさと)さんが提唱したそうです。さらに「愛のシーサーの会」の事務局が那覇保護観察所内にあったということが分かりました。

 

さっそく那覇保護観察所に電話すると、当時のことを詳しく知る人はいませんでしたが、小林さんがいる時期に保護観察官として働いていた當山孝明さんを紹介してくれました。

 

元検事正の思い

 

現在、那覇保護区保護司会の保護司をしている當山さんは、那覇保護観察所を皮切りに離島や県外、あちこちの保護観察所などで働き、定年までの1年間は那覇保護観察所の所長をしていました。

 

當山さんは「あのころ沖縄は少年犯罪、非行が頻(ひん)発していて、特に県外からいらっしゃった小林元検事正からするとなんでそんなに多いのかと思ったのではないでしょうか。おそらく、この状況を憂いて沖縄のために何かできることはないかと愛のシーサーの建立を思いついたんだと思います」と当時を振り返ります。小林さんは沖縄に在任中、青少年健全育成運動のシンボルとして愛のシーサーを完成させるべく奔走していたのです。

 

一方、當山さんは保護監察官として時には休日も働き、多忙な日々を送っていました。愛のシーサーには直接関わっていませんでしたが、元那覇保護観察所長・梅崎久之さんが「愛のシーサー」の会の常任幹事をしていて、建立に向けパタパタと外回りに出掛けていたことを覚えているとのこと。

 

小林さんの印象について伺うと、「検事正といえばお堅いイメージがありますが、ざっくばらんで気さくな方のようにお見受けしました」と話します。さらに愛のシーサー制作者について、お父さんシーサーが島常賀さん、お母さんシーサーが高江洲育男さん、子どもシーサーは島袋常栄さんと小橋川昇さんだと教えてくれました。

 

親子の交流を

 

ありがたいことに愛のシーサーの落成式に配布したと思われるリーフレットのコピーを、那覇保護観察所からいただきました。そこには愛のシーサーの全体像が描かれ、3体のシーサーを覆う天蓋(てんがい)はデイゴの木をデザイン化し、人類愛、県民愛、家族愛を表しています。また、ところどころに手書きで「シーサーの一家は仲むつまじいネ」「君のうちは親子仲がいいかい?」などと書いてあるのを見て、小林さんが健全な沖縄の社会を思い、書いていたのではと勝手に想像してしまいました。

 

當山さんは「たとえば保護者が愛のシーサーを見て、親子の交流が大切なんだという雰囲気を感じ取ってもらえたらと思います。それだけでも愛のシーサー建立の趣旨が生きていることになるんじゃないかな」と笑顔を見せました。

 

まだ愛のシーサー公園に行ったことがない人は、ぜひ足を運んでみてくださいね!
(2021年4月22日 週刊レキオ掲載)

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