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7月19日にプロ転向を表明した羽生結弦(27)。五輪2連覇を果たし、国民栄誉賞も受賞するなどまさに日本フィギュアスケート界の歴史を変えた英雄だ。本誌はそんな羽生を知るゆかりの人ちに知られざる秘話を取材した。

 

羽生を取材するメディア関係者はどう見るか。フィギュアスケートを長年取材するスポーツジャーナリストの折山淑美さんは、羽生は今回の会見と同様に、いつも感謝を口にしていたと振り返る。

 

「彼はメディアの人たちにも正面から向き合ってくれています。正直に言えば、こちらのほうが感謝したいほどです」

 

ジュニア以前のノービス時代から羽生を取材するスポーツライターの野口美惠さんはすでに17歳にして羽生の“覚醒”を見たそう。

 

「私がいちばん印象に残るのは、’12年3月のニースでの世界選手権。彼はまだ東北高に在籍する17歳。『ロミオとジュリエット』で日本男子史上最年少となる銅メダルに輝きました。試合後、彼はこう語りました。『被災地を元気にしたいと思って世界選手権を目指しましたが、その考えは間違いでした。僕が皆さんに元気づけられた。ありがとうございます』

 

あの時点でスケーター・羽生結弦としての覚醒がありました。たくさんの応援や歓声を受け止めて、それを演技に昇華させるという、今の羽生選手のスタイルがもうあの当時にできていたと、今振り返って思うんです。つまり、彼はあの若さで、もうあのころから“プロ”だったんです」

 

その半面、羽生には弱いところもあったという。

 

「少年時代の葛藤、焦りなど精神的なものもそうだし、身体的にもぜんそくだったり、体力もないほうだったのに、今はそういうこともなくなっています。彼からは、どんな弱さがあっても、前向きに真面目にやり続けていると克服できるよということを教えてくれている気がします。努力で克服し強くなっていく過程を見せてくれている、そこに私たちは感動するんだと思います」

 

羽生が闘っていた歴代のリンク管理者の方々からも話を聞いた。青森にあるテクノルアイスパーク八戸「新井田インドアリンク」の坂本久直館長の思い出に残るのは、羽生を支える家族の姿だ。

 

「ふれあいタイムというのがあって、ショー終了後にスケーターがお客さんのところを回って握手したり、話したり、プレゼントをもらう時間があるんです。羽生さんの人気は別格でした。アイスショーでは大量のプーさんのぬいぐるみや花束が投げ込まれるんですけど、羽生さんのお母さんは必ず全部箱に詰めて持って帰っていましたね。それには本当に感心しました。

 

スケーターの中には、ごみ箱に捨てていったり、倉庫に置いて帰ってしまう人もいるんですが、彼は違う。お母さんが夜遅くまで箱詰めして全部宅配便で送っていました。十数箱とかすごい量でした」

 

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