「大量のプーさんを全部必ず持ち帰る」リンク支配人が語る羽生結弦支えた母の献身
画像を見る 19年4月、母親とともに空港を訪れた羽生

 

■「羽生選手自らがスケート靴を出してくれた」

 

「アイスリンク仙台」の元支配人・新井照生さんは小6で入ってきた羽生をこう思い起こす。

 

「当時プルシェンコさんに憧れていて、同じようなマッシュルームカットで、華奢でした。有名になってからも、朝の練習を終えて、そのままリンクの貸し靴コーナーに入って貸し靴の処理をしてくれたことが数回ありました。校外学習で来た小学生の対応をしてくれたのですが、その先生やお母さんたちが僕のところに飛んできて『羽生選手がスケート靴を出してくれているんです!』と驚いていました」

 

羽生がジャンプしたときのリンクの氷の傷はきれいだったという。

 

「ポンと突いてスーッとえぐれながら流れるように傷が浅くなっていく。普通の人だと氷が割れるように傷つくんです。そういうところも羽生選手は違いました。滑った後は、リンクに向かって必ず一礼していましたね。練習の後、『モップを貸してください』と声をかけられたこともありました。選手でそういうことをする人はなかなかいない。大和魂を大事にしているように感じました」

 

仙台市議会の佐藤正昭議員(63)は地元仙台に“羽生リンク”建設をと、すでに根回しを始めている。

 

「羽生さんがプロとして滑れる公営アイスアリーナの建設を、商工会議所やスケート連盟が中心となってやりたいといま準備をしています。市長と知事両方に宛てて今月中に陳情を行い、署名活動もやろうと話しているところでした」

 

教員をしている羽生の父親は来年3月で定年退職を迎えるという。

 

「来春になればいろいろ動きやすい環境ができると思います。仙台は金メダリストが2人いるフィギュアの聖地。今後は地元のリンクで後進の育成をしていただきたいというのが、市民の願いです」

 

羽生はゆかりの人たちの声援を受け、さらなる挑戦を続けるーー。

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