紀子さま「3LDKのプリンセス」と大ブームも…“美智子さまをお手本に”歩まれ続けた57年の軌跡
画像を見る メキシコを訪問された1997年、Tシャツにサングラス姿の秋篠宮さまとビーチをご散策。”気さくさ”も国民から大きな人気を集めた

 

■一時は“雅子さまより皇后にふさわしい”と称賛も…

 

ご成婚の翌年には眞子さん、1994年には佳子さまと、続けて内親王を授かった秋篠宮家。国民からの祝福は続き、国際親善の場では、筆頭宮家の妃殿下という大役を務められ、世界のVIPにも「紀子さまスマイル」は大好評だった。

 

佳子さまがお生まれになる前年の1993年、天皇家に“もう一人のプリンセス”が加わった。当時、皇太子妃となられた雅子さまだ。

 

二人のプリンセス、雅子さまと紀子さま。お二方とも国民から絶大な人気を集めたが、2000年代になると、雅子さまのご健康問題を端緒に、明暗が分かれていく。

 

雅子さまは、愛子さまご出産後の2003年に帯状疱疹を発症、翌2004年には適応障害と診断され、長期の療養に入られた。東大卒、外務省での勤務と、輝かしいキャリアを持ちながら、宮中の慣れない環境に苦悩し体調を崩され、思うようにお務めを果たせなくなった。

 

対して紀子さまは、結核予防会の総裁といった名誉職なども務められ、ご公務も活発にこなされていた。紀子さまが早くから皇室になじむことができたのは、“美智子さまを範とした”ためだとも言われている。

 

「ご結婚前に東宮御所でお会いして以来、紀子さまはたびたび上皇ご夫妻と交流を重ねられていました。この親密なご関係が、妃殿下となられたのちの紀子さまの大きな支えとなったのだと思います。

 

紀子さまは、秋篠宮さまはもちろんのこと、上皇ご夫妻からも多くを学び、吸収されたのです。とくに美智子さまは紀子さまの大きなお手本だったのでしょう。

 

直接、教えを請われたり、あるいは美智子さまのなさりかたをご覧になりながら、妃殿下としての理想像を追求されました」(江森さん)

 

当時の皇室担当記者のなかには、「驚くほどたたずまいや身のこなし方が、お若いころの美智子さまに似てこられた」と話す者もいた。

 

「療養生活に入られて以降、雅子さまに対して批判的な報道が相次いでいました。雅子さまと紀子さまのご公務数をあえて比べる記事、読者アンケートの結果として“皇后にふさわしいのは雅子さまよりも紀子さま”と伝える記事など、次代の女性皇族のリーダーにふさわしいのは紀子さまではないのか、という論調の記事が多かったのです」(前出・皇室担当記者)

 

2006年、紀子さまの運命を変える出来事が起こる。この年の9月6日、皇室では夫の秋篠宮さま以来、じつに41年ぶりの親王・悠仁さまを出産されたのだ。

 

皇室典範では、皇統に属する男系男子が皇位を継承することが定められている。“お世継ぎ”の誕生に、再び国民は沸いた。悠仁さま誕生直後の読売新聞夕刊は、帝王切開の手術を担当した愛育病院の中林正雄院長による記者会見を報じている。

 

記事中には紀子さまが「男の子はどうやって作ればいいのでしょう」と、中林院長に冗談で語られていたエピソードも掲載されている(※同年9月15日に中林院長は発言を取り消した)。

 

悠仁さまご誕生前の2004年には、政府内に「皇室典範に関する有識者会議」が設けられるなど、女性・女系天皇容認の議論が活発に行われていた。そのような状況に紀子さまはある種の“使命感”を抱かれていたのだろう。前出の宮内庁関係者がこう証言する。

 

「秋篠宮さまは、弟宮として兄である当時の皇太子、現在の天皇陛下がお子さまをもうけることに期待されていました。ですが、その見通しが難しいという状況や、次世代の後継者がいないことを憂慮される上皇さまを安心させたいと、秋篠宮ご夫妻は妊活を決意されたのです。

 

なにより、紀子さまご自身、敬愛してやまない上皇ご夫妻を安心させたいと強くお考えでした。それが紀子さまの、言うなれば使命感だったのであり、お覚悟であったのではないでしょうか」

 

紀子さまのお心の中で、“美智子さまのように、人々に愛される国母になりたい”というお気持ちが芽生えていたのだろうか。だが、“将来の天皇の母”として使命感を確立されていくいっぽうで、その姿勢が国民との距離を微妙に広げることになったのも、紀子さまにとっては“誤算”だったのだろう。前出の小田部さんは、次のように指摘する。

 

「紀子さまは当初、庶民出身のプリンセスということで、国民と近い距離を保っておられた印象があります。しかし、悠仁さま誕生後の秋篠宮家には、“将来の天皇家である”という意識と強い責任感が芽生えたように感じています。

 

責任感に縛られるあまり、ご公務なども従前の形を踏襲するという、形式的なことにより強くこだわられるようになったのです。かつての気さくな形で国民生活に寄り添うといったスタイルが、薄れていった印象を受けました」

 

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