紀子さま「3LDKのプリンセス」と大ブームも…“美智子さまをお手本に”歩まれ続けた57年の軌跡
画像を見る 2005年、雅楽の保存のため創立された絲竹会の演奏会に美智子さまらとご臨席(写真:時事通信)

 

■眞子さんの結婚で逆風が…強すぎる使命感が深めた周囲との溝

 

秋篠宮家への国民からの風向きが大きく変わったのが、2017年の長女・眞子さんの結婚問題だった。同年9月の婚約内定会見の約3カ月後、お相手の小室圭さんの母・佳代さんが抱える金銭トラブルが発覚。小室家のさまざまな問題が報じられ、結婚は延期。秋篠宮さまが納采の儀を行う前提としていた「多くの人が(結婚を)納得し、喜んでくれる状況」にはほど遠く、儀式は見送られた。

 

そして2021年10月、眞子さんは女性皇族としては異例の、一連の儀式も結婚式も行わないまま入籍し、皇籍を離脱した。小田部さんは、このときの秋篠宮さまの姿勢に、次のように疑問を呈する。

 

「そもそも秋篠宮さまが、眞子さんの結婚の可否について、国民の声の大切さを述べておられながら、最終的には国民が納得しないまま結婚を認めてしまわれました。また眞子さんと小室さんは結婚会見で、人々の理解を求めるのではなく“反対する人は敵”という姿勢すら見せたのです。そのことは、秋篠宮家と国民との距離を広げる一因となっていきました」

 

小田部さんは、悠仁さまがお生まれになって以降に強まった紀子さまの使命感が、眞子さんと佳子さまを困惑させたように感じているという。

 

「秋篠宮ご夫妻は、眞子さんと佳子さまの将来について、自由恋愛でお好きな方と結ばれ、皇室を離れたのちは自由に暮らしてほしいと願われていたと思います。

 

しかし、皇位継承権を持つ悠仁さまのご誕生で芽生えた秋篠宮ご夫妻の“将来の天皇家”という意識と責任感は、従来の自由度までも薄めてしまったようにお見受けします。お二人は、幼いころから抱いていた将来への見通しとのギャップに苦悩されたはずです。こうした未来像の不一致が、ご家族の関係に影を落としてしまったことは否定できません」

 

眞子さんの結婚問題以来、国民の厳しい目が注がれるようになった秋篠宮家。学習院大学OGで昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員の藤澤志穂子さんは、次のように話す。

 

「悠仁さまがお茶の水女子大附属中から筑波大附属高に進まれたのも、『提携校進学制度』という一般的ではないルートでした。

 

紀子さまが、“なんとしても悠仁さまを東大に入れたいと思われている”と言われてきました。もしそれが事実だとしたら、“紀子さまは雅子さまや愛子さまに負けずに存在感を発揮したいのか”という印象を国民に広げてしまうのは、無理もないように思えます。

 

こうしたご姿勢が、“皇嗣家としての特別扱いをうまく利用されている”という批判につながっているのでしょう」

 

また、紀子さまのご熱意が、周囲に緊張感を生じさせているようだ。皇嗣家となった秋篠宮家は、職員数も20人から50人以上へと倍増。しかし、離職率が高く、職務に支障が出ているという指摘もある。

 

「皇嗣妃となられた紀子さまは“私が皇室を支えなければ”という思いが強くなられたのです。その結果、仕事への要求水準が高くなられて指示も細かく、職員はいつも戦々恐々としています。退職する者も後を絶たないという状況が続き、“ご難場”と呼ばれていることがたびたび報じられてきました」(前出・宮内庁関係者)

 

かつての「紀子さまスマイル」が、いつしか「アルカイックスマイル」と呼ばれるようになったことは先述したが、ご表情について苛烈な誹謗の言葉もーー。

 

「お車でのご移動中、渋滞にはまると紀子さまは機嫌がとても悪くなられるといい、皇宮警察本部の護衛官には、そんなときの紀子さまのお顔を“般若”と誹謗している者がいる、という証言が週刊誌で報じられたことがあります」(前出・皇室担当記者)

 

学生時代にしたためた手紙には、最後に必ず「オールウェイズ・スマイル(いつでも笑顔で)」と書かれていた紀子さま。それは、笑顔こそ周囲の人々や自分を幸せにするという父・川嶋辰彦さんの教えだったという。紀子さまはいまも覚えていらっしゃるはずなのだがーー。

 

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