有森裕子さん×小島慶子さん対談 つらい症状に戸惑った更年期「いきなり体がほてって変な汗が大量に」「膣が帯電するような不快感」
画像を見る 小島さんはテレビのバラエティでの経験が、更年期について語るきっかけになったという

 

■語りたいときに語れる場所、語れる人がいるのが大事

 

一方、小島さんはテレビのバラエティでの経験が、更年期について語るきっかけになったという。

 

小島:35歳を過ぎたころから、バラエティ番組で「更年期のババア」と芸人さんにいじられるようになってショックで。それって“若くてかわいくてセクシーで、出産可能な体でなければ女じゃない”っていう価値観の表れですよね。怒りを感じると同時に、女は“性的に消費される賞味期限つき”な存在である、という刷り込みは、私自身にも染み付いていると気がつきました。こんな差別的な笑いに加担したくない! 自分が更年期になったらそんな呪縛を解くぞ! と決心しました。

 

有森:30代から、更年期について語ることを決めていたんですね。

 

小島:でも40代に入り、雑誌の更年期の記事に不調とか障害とか書いてあって、恐ろしいことが起こるのかと怖くなって。元々PMSでかかりつけだったのですが、私も有森さんと同じ対馬先生に話をしたところ、「大丈夫。今は(更年期に)軟着陸する方法がいっぱいあります。そのときがきたら方法を一緒に考えるので、怖がらなくていいのよ」と言ってもらい安心しました。

 

有森:それは安心しますよね。

 

小島:3年前、膣が帯電するような不快感を覚え、仕事も手につかなくなったので検査をしたのですが、感染症などの異常はなし。ホルモン検査をしたら、「更年期に入ったようですね」と言われて気が楽に。そのとき、更年期の症状は千差万別、マニュアルがあるわけではないことも知りました。

 

有森:何か治療はしていますか?

 

小島:免疫力を上げる漢方と、膀胱炎が続いたのでそれに合う漢方と、メンタルの薬を飲んでいます。また月に1度のホルモン注射。これは保険診療で300円。なにより、先生に話を聞いてもらい励ましてもらえるのが支えになっています。有森さんは、その後は?

 

有森:最初のピルで劇的に変わって以来「様子をみましょう」となって。更年期にホルモンが崩れると心身に何が起こるかを理解できたので、あとはもう自分次第だなと、クリニックに通うのはやめました。それからは、体にいいものを食べたり、飲んだり。またピラティスやジムで体を動かし、自分が落ち着くルーティンを持っています。あと、最近ハマっているのがバス旅(笑)。目的地のカフェだけ決め、路線バスで景色を楽しみながら写真を撮ったり、楽しんでいます。

 

小島:私は現在進行形なので、昨日までなかった症状が出たりもしますね。更年期とわかる前は、「どこにも異常がない体が正解で、それを維持できない自分はふがいない」と嘆いていたこともありましたが、不調にも理由があったと知ってほっとしました。

 

有森:小島さん、そうして自分の状態に気づき言葉にして話ができているから大丈夫ですよ。気づけば対処の仕方も見えてきます。最近の自分は完璧主義を手放して、体のどこかに不調はあっても生きていられたらいいと、割り切れている感じ。更年期は、そんな自分自身を深掘りして成長する時期なんだな、と今は思いますね。

 

小島:無理せずに、語りたいときに語る場所、語れる人がいるのが大事ですね。私、先日50歳になって、もしかして、自分が想像するより世の中は広くて温かいのかもしれない、と思うようになって。更年期がつらく、闇のように感じても、明日は光が差すかもしれない。だから読者さんにも1人で抱え込まず、変化を一緒に生きましょうと、伝えたいです。

 

有森:生きることは完璧じゃなくていい。症状を否定してもしょうがありません。いろんな変化を受け入れるキャパを増やすことが大事。不調の中でベストを尽くす。そんなつもりで、更年期を思いっきり楽しんでいいんじゃないかな。

 

小島:今、有森さんのお話が心に響き、涙出てきました(涙)。今日はありがとうございます。

 

有森:小島さんも、読者さんも、みんな、頑張れ~!

 

1人きりにならず語り合って、更年期を乗り越えていこう!

 

【PROFILE】

小島慶子

’72年生まれ。エッセイスト、タレント。’14年からオーストラリア移住。日本で働き、夫と息子2人のいる豪州と往復。新刊『おっさん社会が生きづらい』(PHP新書)

有森裕子

’66年、岡山県生まれ。オリンピック女子マラソン2大会メダリスト。’10年、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞日本人初受賞。(公財)日本陸上競技連盟副会長

【関連画像】

関連カテゴリー: