_dsc5740育児がはじまってからも苦しみは続いた。泰子さんがいうところの“地獄めぐり”は別の方向へ向かっていた。

「『奇跡が起こらないことが奇跡』といってもいいくらい、願かけをしたのです」

宗教に多額の寄付をしてしまったり、翔子さんを背負い線香とお経の本を持ちながらお地蔵様めぐりをし、実際に翔子さんのお地蔵を建ててしまったことも。

「結局、2人で死ぬこともできず、藁にもすがる思いで、『病気平癒』を掲げている宗教団体に「祈祷料」の名目で『あなたも毎日東を向いてお祈りしてください』といわれ、実践していました。最初は百万円で、と言われたのですがさすがに高いと思い躊躇していると、40万円に負けてくれたのです。いま思うと笑い話ですが、当時は奇跡を起こしたい一心でした。また、あるときは、『お地蔵さんが困っている人を救うと如来になれるんだよ』という教えを、ある方から聞いて本当に目黒にあるお寺に翔子のお地蔵様を建てたのです。般若心経もこのころ空で読めるようになっていました。

『奇跡を起こしてください。ダウン症を治して下さい。治してくれたら私の命を差し上げます』とか、もうあらゆることを言ってしまっていました」

そんな母子を大きな気持ちで見守っていたのは裕さんだった。

「当時は目黒に住んでいたのですが、世間体も気になるし、私がどうにも辛くなってきて。『横浜のほうへ転地療養はどうか』とか、夫は忙しい人でしたが常に翔子と私のためにどうしたらよいかを考えてくれていました。横浜山手には外に出て遊ぶ子供が少なくて、1年しかいずに、いまの土地に。『翔子を育てるのにはこの環境がいいかもしれないね』ということで、また移ってくれたのです。 

結局ここで書道教室も開き18年も続けている。いままでやってきたのだから、やはりここでよかったな、と思うのはずっと後のことなのですが」

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