2人の約束だった「二十歳の個展開催」は遺言となってしまった。
そうなると何がなんでも開催だけはしなくては、という使命が泰子さんを突き動かしていた。
「このときは生涯1回限りだと思っていたのです。ならば書家の憧れである『銀座書廊』でやってみようということにもなりました」
2005年12月、『翔子・その書の世界」を開催。書廊始まって以来の2千人を超える来訪者数を記録した。併せて日比谷帝国ホテルにて、初の席上揮毫で大字4文字『如是我聞』を披露。
個展では、見る者を幽玄な月世界に誘う『月光』、輝くような希望に満ちた『光明』、力強く天空を翔け巡るような『飛天』といったまさに翔子さんの心の世界を投影した作品20点が掲げられた。それらは単なる文字の領域を超えた鮮やかな意志を持ち、訪れる人、ひとりひとりの足を長くその場に止めさせた。
これ以降、翔子さんの書が、母娘2人だけの世界から外へ羽ばたいて行くこととなる。
「この個展を開いた最大の収穫は、実は翔子の長年の爪かみが止んだことなのです。どんなにしてもやめられず、いつも爪がボロボロだったのはやはり心に満たされぬものがあったのでしょう。でもそれがピタリと止んだのは、自分が認められたという自信が、翔子を変えたのだと思います」
ダウン症の芸術家の登場は、テレビや、新聞でもとりあげられ、気がつくと、女流書家金澤翔子が誕生していた。
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