蒲田千瑛美さん(29)は、震災直後に福島女子をつなぐ任意団体「ピーチハート」を立ち上げ、活動してきた。本誌は’12年からその活動を追っているが、現在の蒲田さんは、さまざまな復興プロジェクトに参画する「コミュニティコーディネーター」。
蒲田さんは2月に水俣を訪れた。これで5度目。水俣に通うようになったのは、おととし、熊本大学のある先生から誘われたことがきっかけだ。
「水俣は工業廃水による水俣病、福島は原発事故による放射能汚染と、一見抱える問題は異なっていますが、いずれも国策が原因で環境被害に遭った点では同じ。60年をかけて立ち上がり、国の環境モデル都市に選ばれるまでになった水俣の歩みに、多くの気付きをいただいたんです」
訪問の目的はそのときどきで異なるが、毎回共通しているのは、つながりを広げるために、必ず新しい友達をつれていくこと。さらに今回は、今後福島の魅力を発信していくにあたり、水俣の実績を学ぶことだという。
「水俣市では、水俣病の経験を教訓に、安心・安全で環境や健康に配慮したものづくりの推進と、職人の地位と意識の向上を図ることを目的として、環境マイスター制度を’98年度に確立しました。今回はその環境マイスターさんたちの活動も、視察します」
蒲田さんが訪れたのは、和紙漉き職人や漁師など。そのほか、有機栽培に取り組むみかん農家のもとへも。翌日は、水俣市立水俣病資料館へ。ゆくゆくは震災復興祈念館をつくりたい、そのための勉強だ。併せて、水俣病の語り部である緒方正実さん(57)の話も聞いた。その夜は、地元の古民家で開かれた交流会に合流。蒲田さんは、福島×水俣の女性同士の交流を広げるイベントを検討中で、そのためのヒアリングも目的のひとつ。突然、その場にいた水俣の女性を集めて「女子ミーティング」を。
「福島と水俣のいいものを交換しながら、お互いが友達としてつながれるきっかけにしたいと思っているんです。皆さん、どうですか?」
蒲田さんの提案に「こういう出会いがあるだけですごくうれしい」「つながる場所、ほしい!」と、水俣の女性たちは意気軒昂。また、新たなつながりが生まれた瞬間だった。水俣から学んだ知恵は今後、さまざまな形で福島の未来を開くことだろう。
「昔はほかの地方のことなんて考えたこともなかったのに、いまでは水俣は大好きな場所です。そしてこれからは、世界ともつながっていきたい。高レベル放射性廃棄物処分場があるフィンランドのオンカロや、経済成長が著しいインド。震災を機に、自分の中のかけらが世界中にあると知りました。だから、みんなとお友達になりたい」
この4年間で、蒲田さんの視界は「つながる力」によって大きく広がった。