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現在の日本人女性の平均寿命は約87歳。いままで、80代と50代が多かった母娘間の介護も、高齢化によって90代と60代まで上がっている。そんな“90歳を超えた老母の介護と看取り”を当事者が自らの経験を語る――。

 

「母が91歳で大往生したのは、1月18日の朝6時半過ぎのことでした。『もう助からないのなら、家に連れて帰りたい』と病院の医師に告げ、昨年末12月28日に退院してからの3週間余り、母は自宅で身支度を整えるように、静かに穏やかに息を引き取ったんです」

 

苦しむことなく、「枯れ葉が落ちていく」ようだったと、母・絢子さんの最期を振り返るのは、松本清張賞作家の山口恵以子さん(60)。

 

昨年末には、その介護の日々を『おばちゃん介護道』(大和出版)というエッセイにまとめている。鋏作り工場を経営する父と、20人近い従業員の賄いなどをする“おかみさん”の母とのあいだの、3きょうだいの長女だったが、’00年に父は85歳で急死。

 

「その直後から、73歳だった母に、ひどいもの忘れや、料理ができないという出来事が頻繁に起き、体力も著しく低下していきました」(山口さん・以下同)

 

当時、派遣社員をしながら2時間ドラマなどのプロット(原案)を執筆していた山口さんは、家事や母の面倒を全面的に担うことに。後に、母はトイレの粗相が増え……。

 

「掃除したばかりなのにまた掃除なんてことが、何度も……」

 

10年来要介護2だった母の体調は、昨年急激に悪化した。

 

「昨年9月、91歳になっていた母が直腸潰瘍で大量出血。病室で多くの管につながれ、『家に帰りたい』と母は懇願しました。でも医師からは『老衰で、このまま病院で最期を迎えられることになると思います』と告げられたんです」

 

この段階で、山口さんは「母の最期」を覚悟していたという。

 

「人工呼吸器の装着や“胃ろう”を母が望まないというのは、きょうだい間で認識していました。そして知人に紹介された地元の訪問看護グループの訪問医に『点滴が入らなくなって徐々に枯れていくのは、決して悲惨な死に方ではありません』と言われたとき、家で看取る決意ができたんです」

 

要介護度が最大の「5」だった母だが、認知症による徘徊や騒ぎを起こすといったことはなかった。

 

「介護保険でほぼ毎日、ヘルパーに来てもらうことができました。私の仕事は家で執筆することが多いので、特殊かもしれませんが、それでも結果的に、仕事しながら介護することができたんです」

 

介護している人に「エールを送りたい」と、自身の経験から得た秘訣を2つ、教えてくれた。

 

「まず介護の専門家には、最初に最大限の数と量を依頼すべきです。最初はみな初心者。慣れてきて必要ないサービスが出てきたら、そこから徐々に減らしていけばいい。また、仕事は辞めないように。そして人と外で会う時間を確保すること。『私の人生、介護しかない』となったらたまらない。手を抜くこと、多少のお金をかけることへの罪悪感は持たないでほしいです」

 

いまでも執筆中、「母が隣にいる気がする」と話す山口さん。小説家の夢を実現するまで「35年間も私を信じ、待ち続けてくれた母のためにも」机に向かう。

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