天台寺の法話に美輪明宏さんが参加したこともあった(撮影:鈴木鍵一) 画像を見る

【前編】「ずっと私をたしなめてほしかった」三回忌追悼企画“いま寂聴さんに願うこと”より続く

 

2021年11月9日、99歳で逝去した瀬戸内寂聴さん。《書いた 愛した 祈った》、墓石に刻まれた言葉のように、小説家として、女性として、そして僧侶として命を燃やし尽くした寂聴さんが旅立ったことに喪失感を覚えている人も多い。今回は三回忌を機に、交流のあった6人が、忘れられない思い出と、「いま寂聴さんといっしょにしたいこと」「いま寂聴さんにお願いしたいこと」を語った――。

 

■「いまこそ、平和の尊さを訴えてください」歌手、俳優・美輪明宏さん(88)

 

「時が経つのは早いですね。瀬戸内さんと初めてお会いしたのはもう50年以上前になります。雑誌のインタビュアーとして、私が当時住んでいた新宿のマンションまでお見えになったのです。

 

まだ瀬戸内さんが人気作家になる前でしたが、私はその数年前に小説『女徳』を読んでおりまして、「面白い文章を書く方だな」という印象を受けていました。瀬戸内さんは、私より13歳年上でしたが、誕生日が同じ5月15日だったこともあり、『私たち双子じゃないの』なんて、言い合ったこともあります」

 

三島由紀夫氏が脚本を手がけた舞台『黒蜥蜴』で美輪さんは主演しているが、三島氏は寂聴さんの少女小説家時代のペンネームをつけてくれた人物でもある。

 

「私は三島由紀夫さんをはじめ、多くの小説家とお付き合いしました。皆さんに共通するのが記憶力の凄さです。初対面から数年後に再会したとき、瀬戸内さんがリビングに置いてあった家具や、壁紙にはビロードが張ってあったことなどを記憶していたことに驚かされました。また寂庵の本棚には、たくさんの本がぎっしり詰まっていたのですが、どの本に何が書かれているのか、スラスラ話せるほどだったのです」

 

2015年7月、原爆投下から70年を目前にした長崎市で、2人はトークショーに臨んだ。

 

「トークショーのテーマの1つが反戦でした。私も実家のカフェで働いていた青年が出征することになり、見送りに行ったときのことなどを話しています。汽車が出る瞬間、駅に来ていた青年のお母さんが、彼の足にしがみついたのです。『死ぬなよ。どげんなっても、生きて帰ってこいよ』と。

 

すると憲兵が『この戦時下になんだ!』と、お母さんの襟首をつかんで突き飛ばして、彼女は鉄骨に額をぶつけて、血を流していました……。

 

いまは、そうした時代に逆戻りしてきているように思います。瀬戸内さんも、『戦争に、いい戦争とか、国民の幸せのための戦争なんていうのはないんですよ。集団人殺しですからね。自衛隊員にもそれをさせてはいけない』、そうおっしゃっていました。あの方は同じ思想や価値観を持っている、そう感じてきたのです。

 

現在、ロシアとウクライナ、そしてイスラエルとハマスが戦争をしています。人間はいずれ死にます。ただし、罪なき市民を殺したり、虐殺をしたり、略奪を繰り返した人間は、死んだ後も、その犯した罪は消えません。

 

瀬戸内さんもご存命であれば、世界で戦争が続いている状況にイライラなさっているのではないでしょうか。もしかしたら現地に駆けつけていたかもしれません。いまこそ“反戦”と“平和の尊さ”について、訴えていきたかったんだと思います」

 

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