「なんかね、会いたくても会えない家族の写真ばっかり壁に貼ってたので。これはいかん、これじゃ母は寂しさが募るばっかりやと、最近やっと気がつきまして」

 

大阪市生野区にある1軒の住宅。たくさんの古い写真が飾られた部屋の壁を見回しながら、彼女はこう言って笑った。

 

カメラ越しにこちらをじっと見つめる少年たち、レンズを向けられはにかむ女の子、たくさんの勲章を胸元に下げ誇らしげな壮年の紳士……色あせたそれらの写真に数枚、真新しいプリントが交じる。

 

「それで、慌てて現在の私たちの写真を貼ったりして。ね、オモニ(お母さん)、そうやんなぁ」

 

年老いた母は、娘の問いかけに「うん、うん」とうなずきながら、膝の上に置いた絵本のページを繰る手を止めようとしない。

 

「なぜか今年に入って、母は絵本にハマってて。何時間でも読んでます。アルツハイマーが少しずつ進行してきていて、読んだそばからストーリーは忘れてしまうんだと思います。だから、何度読んでも新鮮で楽しいみたいで」

 

優しい眼差しで母を見つめていた彼女。おもむろにビデオカメラを手にとりレンズを母に向けた。

 

映画監督・ヤン ヨンヒさん(53)。自らの家族を撮ったドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』や、安藤サクラ、井浦新らが好演した劇映画『かぞくのくに』など、在日コリアン2世の彼女がメガホンを取った作品は、国内外の映画祭で高い評価を得てきた。

 

今年春には、自身の大学生活をモチーフに書いた小説『朝鮮大学校物語』(KADOKAWA)を出版したばかりだ。

 

1964年、在日コリアンが数多く暮らす大阪市生野区に生まれたヤンさんは、在日本朝鮮人総聯合会(以下・総連)の幹部を務めていた“アボジ(父)”・ヤン コンソンさん(’90年没・享年91)と“オモニ(母)”・カン サンスクさん(87)のもと、熱心な民族教育を受けて育った。いま、東京で暮らすヤンさんは、月のうち10日ほどを、実家の母の元で過ごしている。

 

「アボジはどこ行ったんかな?」

 

不意に母が声をあげた。夢と現実の境がかき消えた母の頭の中では、9年前に脳梗塞で他界した夫がいまも生き続けている。ビデオを回したまま、ヤンさんは母の言葉に寄り添うように答える。

 

「アボジなら、仕事行ったで」

 

「ああ、そうか……」

 

うなずく母に、娘はこう続けた。

 

「ところでオモニ、オッパ(お兄さん)たちはどこ?」

 

すると母は少し考え、答えた。

 

「オッパは……そら、学校やろう」

 

還暦を過ぎた息子たちも、母の頭の中では少年のままだ。そして、現実の世界では、その息子たちもここにはいない。

 

戦後、9万人以上の在日コリアンが、「地上の楽園」と喧伝された朝鮮民主主義人民共和国(以下・北朝鮮)に移住した。「民族の大移動」などともてはやされた一大プロジェクト。総連幹部のヤンさんの父母は、その旗振り役だった。

 

日本で生まれ育ったヤンさんの3人の兄たちも、’70年代初頭に両親の、いや“祖国”の期待に応えるようにして、海を渡った。それから40年余――。経済破綻や人権弾圧、核開発に拉致という国家犯罪……悪いニュースばかりの、兄たちが暮らす国。

 

その北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長と、アメリカのトランプ大統領が史上初の首脳会談を執り行う動きに、世界は色めき立っているが、ヤンさんは……。

 

「う~ん、特別、うれしいということもないかな」

 

かつて、何度も訪問し、兄たちの暮らしぶりを撮影。その映像をもとに製作した映画『ディア・ピョンヤン』を発表後、ヤンさんは北朝鮮への入国を禁じられた。兄に会うという当たり前のことすらできなくなったヤンさんは、歴史的なニュースも、冷ややかに見つめる。

 

「幼いころから、何年後には統一する、と何度も聞かされてきましたから。別にあの国が民主化されたわけでも人権問題が解決したわけでもありませんしね。もうね、何の期待もしないけど、決して絶望もしない、そんな感じです」

 

ヤンさんの実家。2階の、かつて両親が使っていた寝室には、金日成、金正日の2枚の肖像写真が、いまも飾られている。「オモニ、あの肖像写真は下ろさへんの?」というヤンさんの言葉に、母は「かけたままやで」と即答した。

 

「もう、あれはオモニの宗教やな」

 

ヤンさんの次回作はこの母の半生を掘り下げたものになる予定だ。

 

大阪で生まれた母・サンスクさんは、戦火が激しくなった’45年、両親の故郷・済州島に疎開。ところが3年後、韓国史上最大のタブーとされる「四・三事件」に巻き込まれてしまう。分断を決定づける南だけの単独選挙に反対した済州島の住民を「共産主義者」とみなした軍部・警察、そして右派住民らが次々と襲撃。3万人ともいわれる犠牲者のなかに、若き日のサンスクさんの婚約者もいた。

 

「とはいえ、重たい話ばかりにはしないつもりです。仮のタイトルは『スープとイデオロギー』。母の手料理の記憶も交えつつ、たとえ思想や政治信条が違っても、ののしり合ったり殺し合ったりせず、一緒にご飯、食べたらええんちゃうの、そういう映画にしたい」