松本明子の家じまい体験記 実家の維持にかかった総額は約2千万円!
画像を見る 家じまいについて話す松本明子さん

 

■いざ売却が決まると次は20トンの荷物を処分

 

松本さんの実家は、購入当時の価格で2000万~3000万円ほど。ご両親は「家は明子に相続させる」意向で、生前から公正証書による遺言書も作成。その代わり、実家の管理は妹の松本さんが担うという、兄妹間での「役割分担」も互いに納得していたという。

 

「私にとっては幼少期から上京するまで10年住んだ思い出の家です。大学入学で上京した兄は3年ほどしか住んでいませんでしたから、より思い入れの強い私に家を託したのでしょう。それに、衣装などの荷物が増えるたびに送っていたので、実家には私の私物のほうが圧倒的に多かったですから」

 

そして’17年、ついに松本さんは、自分名義になっていた実家の売却を決断。空き家バンクに登録すると、翌年に「定年後、親戚やきょうだいがいる地元に再び住みたい」という夫婦が購入を申し出る。内見後に「ここならすぐに住める」と600万円で即決。7年前のリフォームが功を奏する形となったが、じつはここからが「家じまい」の本番。20トンからの荷物を処分しなくてはならなかったからだ。

 

「私も両親も節約家で捨てられない性分なので、家の中には荷物がぎっしり。それを1カ月で空っぽにしなければならない。業者さんにまとめて処分してもらう方法もありましたが、私の性格的にはそれは無理。結局、すべてのものに目を通して、行き先を決めました」

 

難航したのは父親の蔵書。設計士だった父の書棚には専門書が膨大に収められていたが、引き取り価格は二束三文だった。

 

「本棚の奥に収められていた父が蒐集した1000冊のエロい本のほうが価値がありました(笑)」

 

また母親の日記には、「父が浮気しているかも」などとつづられている箇所があり、切ない気持ちにもなったという。ほかにも、母親の約100着のドレスや洋服を近所のスナックのママさんたちに配ったり、アイドル時代の衣装は東京に持ち返り、父親のスーツや着物などはレンタル会社の「東京衣裳」へ寄贈したりするなど、形見の品を丁寧に分別していった松本さんだが、心残りなのは陸軍大佐だった祖父の遺品のサーベルだったそう。

 

「相当価値があるだろうなと思ったので手元に残したかったのですが、銃刀法の関係で断念。やむなく引き取ってもらいました」

 

地元の健康ランドで寝泊まりしながら、期限内に片づけをやりとげた松本さんは、怒濤の家じまいをこう振り返る。

 

「とても大変でしたが、買い手の方がそのまま住んでくれるそうなので、家そのものを残せたことには満足しています。ただ、息子の代に、同じ思いをさせてはいけないなと痛切に感じています」

【関連画像】

関連カテゴリー: