■その肩書はryuchell自身が選んだものではなかったか
ryuchellさんの報告に対して批判の声が上がったもう1つの理由として、“肩書に苦しんだというものの、それは自らが選んだものではなかったのか”という声があります。
たしかに近年のryuchellさんは、「若者夫婦の代表」「若い世代の夫代表」といったポジションで芸能活動をしていました。こうした活動が苦しさを生んでいた一因だったとはいえ、そのキャラ付けを選んで発信し続けていたのは紛れもない本人ではなかったかという指摘です。
実際、若者代表として、いわゆる上の世代の男性を辛口でコメントするシーンを目にしたこともあります。彼自身、サービス精神が旺盛で求められた役割を楽しんでこなしてしまうフシがあるとインタビューでも語っていました。とはいえこうしたはっきりとしたキャラクターを180度ひっくり返す宣言に、見る側からは疑問の声が上がったようです。
今後もタレントとして活動するのであれば、また新たなポジションを求められることになるでしょう。
報告では明言していませんでしたが、今後はジェンダーレスポジションになるのか、また夫婦別姓や事実婚といった新しいパートナーシップを選んだ人という立ち位置なのか。どうなっていくかは分かりません。
ただ、結局はまた新しい立ち位置を求められることになります。そしてそれに応じることで、また新たな苦しみを生み出すリスクはあるのではないか。そうした考えもよぎってしまうのです。
■私たちは、タレントに一貫性を求めすぎかもしれない
とはいっても改めて考えると、ryuchellさんはとてもしっかりとした考えを持って発言していますが、まだ26歳です。
しっかりした発言ゆえに成熟した印象を持ちがちですが、26歳を一般的な社会人に当てはめるとまだまだ自分のことで手一杯だったり、自分探し中だったりする人がたくさんいます。いきなり今までと違うことを言い出すことなんて、ザラにある年代ではないでしょうか。
急に「夫でいるのが辛くなった」と言われるのも妻としては困るとは思いますが、若い20代夫婦であれば一定数あることのような気はします(もちろん、夫でいるのが辛い理由はそれぞれです)。
彼は“自分らしさ”を結婚して子どもを育てるなかで見つけ、受け入れていくことを決めました。子育ての責任、パートナーとしての責任は果たすと宣言して離婚するのは、果たして本当に無責任なのでしょうか。
彼の決断と報告は、こうして振り返るといくつもの論点があるのかもしれません。
(文:おおしまりえ)