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「投書はSMAPが解散すると考えず書いていたので、発表にはとても驚きました」と思いを寄せてくれたのは、栃木県の菅谷文子さん(46)。本誌9月20日号で募集した「わたしとSMAPの思い出」エピソード。記事の中で読売新聞朝刊の投書を引用したが、その投稿者が菅谷さんだった。「病気の私 励ました歌」と題するその投書にはこう綴られていた。

 

《4年前の夏、卵巣嚢腫が見つかり、卵巣の一部を手術で摘出した。手術の前夜、病室から地元のラジオ局にメッセージを送り、SMAPのヒット曲「がんばりましょう」をリクエストした。すると、番組のパーソナリティがラジオから私を励まし、この曲をかけてくれた。胸に響いた。勇気をもらえた気がした》

 

そんな菅谷さんが本誌に届けてくれたのは、卵巣摘出後もSMAPと寄り添い続けてきたという感謝の言葉だった。

 

「手術のときに限らず、私はピンチになると『がんばりましょう』を聴いて元気をもらってきました。SMAPの曲には、不思議な力があります。たくさんの勇気と元気をくれたメンバーのこれからを応援したいと思います――」

 

今回、本誌には実に多くの声が寄せられた。残念ながらすべてを紹介することはできないが、どれもSMAPと人生を歩んできたファンの思いが伝わってくる。広島県の本多佳子さん(63)も病気と闘う勇気をもらったという。

 

「12年、私は肺がんになりました。『私は死ぬんだ』『せめて子供の卒業式には出てあげたい』といろんな思いが頭を駆け巡りました。手術を終えて退院してからも術後の苦しさや再発の不安で精神的に不安定になり、薬を飲んで過ごす毎日でした。そんななか『翌年のSMAPのコンサートに息子と一緒に行く』を目標にして、頑張ることができました。今年で術後4年。コンサートが終わると次のコンサートを目標に頑張ろうと思えました。今元気に過ごせているのはSMAPのお蔭。私の生きる“希望”でした」

 

栃木県の久保田国枝さん(64)も5人に癒された。

 

「20年前、私は代々木にいた。SMAPのライブを見るため、1人上京したのです。その3年前に実母を亡くし、直後に夫の不倫が発覚。離婚して小6の娘を引き取った。仕事中に貧血で倒れ、子宮筋腫が大きくなって緊急手術も経験。悲しい出来事が重なった。退院してすぐ職場復帰。辛い生活のなか唯一の癒しはSMAPの存在だった。彼らの歌や笑顔に励まされて頑張ることができました」

 

母の闘病を支えてきた大阪府の成田志津さん(40)もSMAPが心の拠り所だった。

 

「家族でSMAPライブに行くのが恒例行事でした。12年、母のがんが発覚。ステージ4で余命半年宣告。一気に突き落とされました。母は面会謝絶になってからも『中居くんが来たら抱きしめてもらうんだ』と看護師さんに言っていました。13年9月7日、母は星になりました。その2日後の生ライブは、母の写真と一緒に見守りました。薄れ行く意識のなかで、母は『私がいなくなってもSMAPライブには行きなさい。笑顔で行きなさい』と言ってくれました。その遺言を守り、2年後のライブにも参加しました。母がいなくなり、まだまだ寂しくて涙が出ます。でもそんなとき、SMAPの曲を聴いて元気をもらっています」

 

寄せられたメッセージにはどれも、たくさんの「ありがとう」が込められていた――。

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