第29話 母と監督である娘の関係
この<映像ブログ>には、たくさんのコメントを頂いている、ということをこの誌上でも書かせて頂いた。ご紹介出来なかったものの中に「映像ブログを一つ一つ見ていると、監督のまなざしを感じますが、全体で考えると、やはり母と娘なんだなあ、と思います。」というコメントが、あった。とても適切なご指摘だと思う。
監督であり、娘であるという境界線は、あやふやで、両域を行ったり来たり、という感じが正直なところだ。
自分で意識出来るのは、カメラを母に向けている時は、<撮影している>という意識が、高いので、母の話しやら行動を撮影しながら、編集のことを考え、ああ、こんな絵やカットが必要、と頭が、クルクル働いている。
ただ、母の反応に笑いこげたり、唸ったりしている部分は、監督というよりは、娘の反応なんだと思う。
カメラって、きっとそういう<行間の思い>も捉えているんだろうな。
私のカメラを通して見える母は、とても無防備で、正直で、でも、時々フト母には、すべてが分かっていて、協力してくれているんじゃないか、と思える瞬間がある。
しかも、母には、監督の私がどんな<絵>を欲しいと思っているのか、そこまで分かっているのではないか。
母の感情の幅は、とても豊かで、動ぜず、惜しみなくさらけ出し、私に迫って来る。
そんな時、私は、ああ、母は、二度と出会えない被写体だなあ、と感嘆し、確信を持つのである。
父は、その死で、私を映像の世界に引き戻してくれた。母は、最高の被写体になることで、私の監督としてのこれからの扉を大きく開けてくれるのではないか、そんな風に考えている。
2010.10.30 (土)更新予定!<動画28:アルツハイマー病の母とトイレット・ペーパーの関係>
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