幼いころから民謡に親しみ、小学3年生のときに入った少年少女合唱団が、成底ゆう子の「歌うこと」の原点。高校時代は、全国コンクールの声楽部門で2年連続金賞を受賞、と輝かしい未来が約束されていたかに思えた彼女に、まさかの挫折…。再び夢に向かって歩み出すきっかけとなったのは何だったのでしょうか。

[E:note]もともとは民謡をやられていたのですよね。051_2
成底 民謡は、私の生活の一部だったので、改めて習ったというのではないんですよね。私 の祖父がご飯を食べた後に、自分の三線(さんしん)を取り出して泡盛を飲みながら弾いている側で、一緒に歌って踊って、というのが本当に日常にありましたのでね。その延長で民謡も知っている、童謡と同じような感じだったんです。どうしても、そういう節回しが出るので、習っているでしょう? とは言われますけど、勝手になるのですよ。全く意識してなくても出てしまうのです。
[E:note]逆に民謡の癖があって苦労されたことはありませんでしたか?
成底 すっごいありました(笑)。日本人の先生には、「高音のところで出る民謡の節回しを取りなさい」と指導され、イタリアのほうの先生に習うと、「あなたはその節回しが一番の魅力だから、それを伸ばしなさい」とアドバイスされ、どっちだ?! みたいな感じになってしまったのです。取りなさいと言われても、自分で意識して出しているわけではないので、その取り方がわかりませんし、逆に節回しを伸ばすのが本当に良いのかもわかりません。どちらいけば正しいのか、悩んで悩んで、まったく歌が歌えなくなってしまったのですね…。
[E:note]歌えなくなってしまったなんて、大変でしたね。
成底 大学を卒業して、イタリアの歌劇団の研究生になったのですけど、イタリアに行ってからもすごく悩むことになってしまい、研修中もまったく歌えなくなってしまったんです。もう声が出なくなっちゃったのですね。
[E:note]今は何気なくおっしゃっていますけど、相当辛い時期だったのではないですか?
成底 すごく追い詰められていましたよね。自分の魅力って何だろうとか、あと、やっぱり身長が低いですし、西洋のものなので、どうしてもアジアンの壁がすごくありまして、役にも恵まれません。そんないろんな悩みが一気にきてしまったのですよね。まったく歌が歌えなくなって、挫折して日本に帰ってきました。私はもう声楽は無理だ、とすごくボロボロになって帰ってきて、じゃあ、島に帰ろうか?と言っても、島に帰れないわけですよ。
[E:note]島の両親には内緒にしていたのですか?
成底 そうです。挫折して帰ってまいりました!なんて言えなくて、1年間ずっとフリーターをしていました。実家から電話がかかってきても、頑張っているよ、とか嘘をついて。止めた! とか、まったく歌が歌えなくなっちゃった! なんて、そのときはとても言えなかったですよね。
[E:note]そういう気持ち、わかります。
成底 それで1年間、この先自分は何をしようかなぁと考えているときに、ふと、小学校3年生のころ自分で歌を作って遊んでいたこと思い出したんです。そして、1年ぶりぐらいにピアノを開けて、自分で作ったその曲はどんな曲だったのだろうと思いながら、ポロンポロンとピアノを弾いて歌った瞬間、本当に自然に声が出てきたんですよ。この声だ! というか、なんとなく私にはコレだ~!というような風が吹いて、すごい泣いちゃったのですよ。合唱団のころの楽しい思い出とかいろいろ、記憶があふれてきましてね。だからこう、結局、やっぱり歌が救ってくれたのです。歌が嫌いで止めたはずなのだけれども、また歌に救われました……。
(続きは次回へ)

撮影/徐 美姫

[E:note]成底ゆう子オフィシャルHP
http://www.dictorland.com/narisoko/

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