発表する作品がつねに話題となってきた、園子温監督の最新作が公開される。テーマは原発。これまでタブーとされてきたテーマを、オリジナル脚本で手掛けた。
その・しおん★
愛知県出身。近作では『恋の罪』(11年)がある。『希望の国』でトロント国際映画祭最優秀アジア映画賞受賞。次回作は『地獄でなぜ悪い』
(13年3月公開予定)。12年は原作小説『希望の国』(リトルモア)、『非道に生きる』(朝日出版社)発売。『園子温初期作品集DVD-BOX』(ハピ
ネット)が11月2日発売予定。
映画『希望の国』
監督・脚本/園子温 10月20日(土)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
©2012 The Land of Hope Film Partners
(オフィシャルサイト)http://www.kibounokuni.jp/
――原発をテーマに映画を撮ろうと思われた理由は、どういうところにあったんでしょうか。
「前作『ヒミズ』でバックグラウンドとして3月11日(東日本大震災)を扱ったことがきっかけです。そのまま別の映画を撮る気になれず『津波とは別に、原発の映画をちゃんと撮らなければ』と、『ヒミズ』を撮り終わってすぐに思いました。被災地に何度も足を運びましたが、福島のほうでは復興の兆しがなかなか感じられない。報道も、あんなに騒いでいたものがだんだん沈静化していくので、昨年から『来年は(被災地のことは)だいぶ忘れ去られるんじゃないかな』と感じていました。そこで、映画監督として、映画から発信して、もう1回、原発問題が話題になるといいなと、そういう思いから始まったんです」
――モノをつくる人間として、この状況を見過ごすわけにはいかないと。
「多くの人たちが、いろいろな表現方法で原発の問題について発信する中で、映画界が黙っているわけにはいかないだろうと。ドキュメンタリー作品はあるけれど、いわゆる『ドラマ』という作品はなかったので、その形で発信したほうがいいだろうとも思いました」
――取材をされていて、福島県はほかの被災地と状況が違いましたか?
「そうですね。報道では被災地をひとつにまとめて『あれから1年』みたいなことをやっていますが、ぜんぜん違います。ひとつにしちゃダメなんですよね」
――作品を拝見していて、セリフなど、すごくリアリティがありました。かなり綿密に取材されたのでしょうか。
「細かい部分の描写も、取材の積み重ねです。『長島県』という架空の場所の設定にしたことで、よく『空想で(映画を)作ったの?』『想像が入っているんじゃないの?』って言われるんですけど、そういうことはありません。ある方の家は、庭のど真ん中から分断されていて、自分の庭なのに、入れないところがある。こっちは花が咲いているのに、向こう側は花が枯れているんです。これは空想や想像ではなく、実際に起きている現実なんです。ひどいところになると、家の中を2つに分断されている人もいます」
――そういうことも含め、これまで震災や福島への関心が薄れていた人にとっても、新しく気づかされる部分があると思いました。
「放射能の不条理さをどう描けばいいか、ずっと考えていました。その庭を見たとき『ここだ』って思ったんですよ。曖昧な、なんの意味もない境界線、こっちとそっちの空気は、何がどう違うのかという。あっちは避難しなければいけないのに、こっちは家にいていいという、不気味な状況を感じて、ここを拠点にしようと思いました」
――被災地に足を運んで、それを映像に残すことについて、批判などはありましたか?
「最初に『ヒミズ』の撮影で被災地を訪れたとき、批判されたことはあります。今回も迷ったんです、被災地を撮るか撮らないか。でも、撮るんだったらとことん撮るしかないと決めました。被災地に行くたび、更地化が進んでいて、今はただの草原というところもあります。報道だけでなく、映画で残すのも必要だと思いました」
――映像で記録として残し、物語には情緒や情感を残したかったということでしたが、人の心にいちばん訴えられるのは、やはりそういう部分だからでしょうか?
「原発がすぐそばにあって、それが爆発したら、いいか悪いかではなく、逃げなくちゃいけないという“宿命”があるわけです。僕はそれだけで十分だと思っていて、難しい話や情報、知識は本で読めばいいと思う。今回、取材していて、被災者から出てきた言葉は『あのときは寒かった』とか『怖かった』とか、そういう感情が真っ先に出ます。でも、それでいいと思うんですよね。『原発は怖い』という、単純な感情だけで映画を撮りたかったんです」
――生々しい感情が描かれ、ある意味、身に迫るような気がしました。『こういう現実を迎えた今、これからあなたはどうやって生きる?』という問いを投げかけられている気がしました。
「原発に関しては、僕も以前はどんと構えていました。でも今回、こういうことが起きた。一度は反省で済ませるけど、また同じことが起きたとき、次は本当に国民の責任だと思います。だから映画を撮ったということはありますよね」
――製作資金を集めるのが容易ではなかったと聞きました。やはり、原発をテーマにすると、そういう面でもシビアなことが起きてくるんでしょうか。
「最近の作品が話題になっていたこともあって、次回作は手を組もうと言っていたのに原発をテーマにすると言ったら、みんな、手を引きましたね。結局、台湾とイギリスから協力をもらって完成させることができました。けど、不思議ですよね、別に海外の人に向けて作っていないのに。海外の人に切迫した状況を伝える映画ではなく、これからの日本人のための映画だと思っているのに」
――あえて、タイトルを『希望の国』にした理由は、何かあったんでしょうか。
「最初は、皮肉と、本当の希望のダブルミーニング。『ヒミズ』を撮って『震災のあと、僕は希望に負けました』と言ったんですけど、今や絶望している場合じゃなくなった。むしろ、希望を持たざるをえない時代になったと思うんですよ。絶望は当たり前のことで、東京にいても、放射能が検知できる。そこであえて、どう希望を持てばいいんだろうと考えることしか、もう、残されていないと思うんです」
――今後も原発をテーマにした作品は撮られていくんでしょうか。
「原発というより、3月11日に関して、その後の経過はこれからも撮っていきたいと思います。じつはもう、すでに1本撮り出しています。それとは別に違うエンタテインメント映画『地獄でなぜ悪い』も撮っています。これは13年の3月公開予定です」
――最後に、作品についてひとことをいただきたいんですが。
「原発問題は、遠い近いに関わらず、誰にでも起こりうる、みんなで考えていかないといけない話なんです。難しい言葉でなくてもいい、もう一度、原発について語りあってほしい。この映画がそのきっかけになって欲しいです。僕ひとりだけが、原発問題の映画を撮るのではなく、いろいろな監督が撮り始めてくれればいいな、とも思いますから。“草食系”監督ばかりの世の中、もっとでかいテーマの映画を撮ってほしい、と言いたいですね」