‘09年8月2日。この日の夜を堺に押尾学の人生は、すべてが暗転した。あれから955日。その主張は届かぬまま、彼は今月、刑務所に収監される。3年半ともいう獄中生活。近づくその時を目前に、彼は「自分の思いをそのまま伝えること」を条件に本誌の取材に応じてくれた。

「真実と違うことが、法廷でもまかり通っていくことは、本当に許せなかった。自分を貫き通したかったけれど、その声はまったく無視されて、ドラマのシーンのように、あっさりと裁かれてしまった。これには、正直押しつぶされそうになりました」

収監を前に、『すべてを受け入れよう』と覚悟を決めたという押尾。だがこうした心境にいたるまでには、長い苦悩の日々があった。逮捕後に手のひらをかえすように離れていった人間、彼を追い続けたマスコミ、そして警察や検察に対する思いを彼は綴っていた――。

「拘置所の中では、自殺することばかり考えていました。弁護士の先生にA4の大学ノートを差し入れてもらい友達への恨みなんかを、ただひたすら書いて……。たちの悪い遺書ですね。ノートにはいまもずっと書き続けています。これだけは、思っていることを嘘泣く書いていこうと」

しかし、受け入れていく覚悟ができてからは、書き込む内容も変わっていったという。

「いいも悪いも、すべて受け入れて……ここは耐えて生きていこう、と考えるようになったんです。ノートにも恨みの言葉は減りました。息子にあてた思い、両親への感謝の言葉とかテーマ別になっているんですが、もう何十冊にもなっていますね。子供には自分がどう思って生きてきたのか、伝えたいと思っています」

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