7月15日朝8時、作業員たちが、放射線量の高い地区を封鎖するバリケードの設置工事を開始した。今回封鎖される福島県飯舘村長泥地区は、原則5年間立ち入りが禁止される帰宅困難区域だ。バリケードの施錠に立ち会った長泥地区の鴫原良友区長(61)は、その心境をこう話す。
「取り残されたという感じがありますね。このバリケードを見ても、本当に悔しいっていうんだか、どこさ、怒りをぶつけていいかわからないのが今の気持ちです」
鴫原さんは福島市内の公務員宿舎に、離婚した二男とその子供たちと一緒に住んでいる。孫の話に目を細める彼の顔は区長のときとは一転、おじいちゃんの顔になっていた。横にいた妻の美佐江さん(58)も笑顔を見せた。しかし、その孫たちとの飯舘村での暮らしぶりの話になると、夫婦の顔からスーッと笑みが消えた。
「孫たちも昨年の5月14日まで長泥にいました。原発事故から2カ月間の線量が高いときに、娘夫婦と孫5人とも長泥に住んでいたから、今後どういう影響が出てくるか、いちばん心配だな」
長泥地区は放射線量が周辺に比べても高いため、除染せず地区ごと封鎖される。汚染された地域に、住民の避難が終わる昨年6月下旬まで住んでいた鴫原さん。「ダメだと言っても夫は、今も長泥のワラビやフキを取ってきて食べるんです」という美佐江さんの言葉に、鴫原さんは福島県の現状についてこう語った。
「放射能が怖いって人は福島県には、住めないね。体で実証するしかない。だから見ていてください」
7月20日、政府は鴫原さんたちが住んでいた帰宅困難区域の土地については全額東電が賠償、家具などは両親と子供2人の場合、675万円を賠償すると発表した。また避難に伴う精神的苦痛への賠償額は月額1人あたり10万円を基準に支払われるという。
長泥地区に住んでいたのは74世帯、277人。子供たちの明るい笑い声が響いていた故郷は、もう返ってこない——。