NHK連続テレビ小説『花子とアン』で、仲間由紀恵が演じる葉山蓮子のモデルとなった柳原白蓮(びゃくれん・享年81)は、“大正の三美人”といわれた大正から昭和にかけて活躍した女流歌人。その長女である宮崎蕗苳(ふき・88)さんが、母・白蓮について語ってくれた。
白蓮は柳原伯爵家の庶子として東京に生まれたが、生母は3歳のときに病死。幼くして子爵の息子と結婚させられ、15歳で男児を出産した。だが、夫婦に愛情はなく、5年後には子供を残す条件で離婚が成立。白蓮は20歳で柳原家に戻った。
実家に戻った白蓮は、柳原家で幽閉同然の生活となり、ひたすら読書に明け暮れる。その間、ひそかに縁談が進められ、それを知った彼女は家出をして抵抗。1908年、兄夫妻のはからいにより23歳で東洋英和女学校に編入学し、後に翻訳家となる村岡花子と出会い、親友となる。
「私も、花子さんとお会いしたことがあります。ドラマのように、明るい方でしたね。母からは『村岡さんとは女学校のころから一緒だったのよ。仲よくしていたのよ』と聞きました。『一緒に勉強して、寄宿舎に暮らしていたのよ。楽しかったわ』と母は言っていました。学園生活がとても楽しくて、その後も村岡花子さんとはずっと交流が続いていたみたいですよ。お互いの立場の違いもあって、より2人は引かれあったのかもしれませんね」
白蓮は卒業後に炭鉱王と見合い結婚する。相手は50歳で、労働者から大富豪になった人物。“華族の令嬢が売り物に出た”と大きな話題になった。
「母は結婚したくなかったと思います。でも、ドラマと同じように結婚しなければいけないという事情もあったのでしょう。それはもう福岡にいた10年というのは、本当に母はつらかったと思いますよ。夫は遊里に入り浸りで寂しいし、夫は子供のできない体で、母は実子を持てない不安定な立場で、それもつらかったと思います」
夫との良縁に恵まれなかった白蓮は、激しい恋に落ちる。相手は雑誌の編集者で7歳年下の宮崎龍介だった。当時、人妻だった白蓮は、龍介と2年間に700通の恋文を交わし、ついに’21年秋、駆け落ちする。当時『白蓮事件』として一大スキャンダルとなった。
「つらい生活から逃れようとしたら、駆け落ちも仕方なかったと思います。母はそれまでの人生があまりにもつらいことの連続でしたからね。女学校にいたころが、唯一楽しかった日々だったでしょう」
駆け落ちの翌年、白蓮は宮崎との間に男児を出産、紆余屈折の末、やっと’23年に晴れて2人は夫婦となった。そして’25年には、蕗苳さんが誕生する。
「父と一緒になってから母は文筆業で生活を支え、大変だったでしょうが、それも生きがいだったはず。だから、宮崎家に来てからは自分の才能を伸ばして、イキイキと生活していたと思います」
ドラマでは、蓮子の出演シーンの反響が大きく、蓮子の出番を増やしたという。
「母は美人だといわれていましたが、仲間さんもとても美しい方ですね。これからのはなさんの活躍も楽しみにしています」