「40年前に、この本の翻訳をしたあと、後味が落ち着かないような、ザラッとした違和感が残った。今回の最終章が加わることで、『そうだな、これでよかったんだよ』と納得するところがありました」
そう語るのは作家の五木寛之さん(81)。1970年代、全世界で4千万部のベストセラーになった伝説の小説『かもめのジョナサン』(リチャード・バック著)。五木さんが創訳した日本語版も260万部を超え社会現象を巻き起こした。
’12年、著者のリチャード・バックが自家用飛行機の事故で九死に一生を得たことを機に、最終章が加わった『完成版』(新潮社刊)が、先月発表され話題を呼んでいる。
ジョナサンが世界を去ったあとの、偶像化、組織の腐敗、宗教の形骸化、自由への圧殺が描かれている最終章について、「現代社会と文明への鋭い批判」という五木さんは、これまでも、「これから鬱の時代が50年続くだろう」「3・11は第二の敗戦。山河破れて国有り」「命が軽くなった」と、感想を述べてきた。五木さんは、ジョナサンのあり方が、これからの新しい時代の生き方を示唆しているという。
「新しく発表された最終章には、今の時代の若い人たちの背中を押すように勇気を与える面があることは確かです」
マイカーも持たず、海外旅行にも行かず、テレビも新聞も見ない。デモにも関心のない若者もいる。それでも“一つの目に見えない動きが確かにある”と五木さん。
「それは日常感覚の中で、好奇心を持ったことをコツコツ学び、同じ考えの仲間と嗅覚で引き寄せ合い、2人、3人と仲間をつくっていくという動き。自己顕示する必要もなく、あくせく働くことばかりが人生じゃない。都会に住まずに田舎で自然とともに暮らす。そうやって自分たちの幸せを仲間とシェアしていく。そんな感覚をよしとする動きがあるのではないでしょうか」
そういった若者の動きは、昔の指導者のいる学生運動で何十万人規模のデモに参加する若者とは明らかに違うという。同書の最終章では、社会に幻滅し自殺しようとする若いかもめの目の前にジョナサンが現れ、驚くほど美しい空中飛行を見せて、「君もやってみるかい」と寄り添っていく。
「上下関係もなく、純粋に飛ぶこと、生きることに喜びを見いだし、よりよく生きようとする一方で、その日の糧を得ることも軽視はしない。先輩後輩でなく友達感覚で寄り添う。そういう世界がきっとあるんだと、生き方を模索する人の心強い応援歌になるような気がします」
社会という群れを離れ、ドロップアウトすることが、決して、人生を落ちていくイメージでは描かれていない。
「現在の閉塞した状況の中でも、自分たちには希望があり、『RE BORN=再生』する可能性があると示しています。しかし『がんばれ』『こうしろ』とは決して押し付けない。最近、命令口調の本が多くてね。それを心強く感じる人もいると思うけれど、ジョナサンはそうじゃない。そこに僕は新しい希望の形を感じます」
ジョナサンは、今の息苦しい時代の中でも、少数の理解者や同志と心を通い合わせて自分の生き方を考え、それを貫いていける道があると、教えてくれているのだ。
「世界中には、先輩後輩や師弟という序列があり、今まで私たちはそれに従わざるをえなかった。けれど、これからの時代は、ジョナサンのように、上下関係ではなく、『隣に在る』関係性が大事になるのではないでしょうか」