日本中を沸かせた“松江の星”、錦織圭選手(24)の成長を手助けした恩人たちに、彼の少年時代を語ってもらった。
「彼が7歳のとき『ボクは国際的なテニスプレイヤーになりたいので、英語を教えてもらえませんか』と言ってきたことがあります」
とは、松江市内で「東進衛星予備校」を経営している川上大さん。小学校時代の担任・小林真美教諭は言う。
「あだ名は“ニッコ”。小2の文集で『夢はオリンピックで金メダル』と。でも、とてもシャイで、クラスで発表するときは顔を真っ赤に。それがあんな大舞台で堂々としているなんてスゴイです」
幼稚園から通っている「グリーンテニススクール」の柏井貴代美コーチによれば……。
「とにかくテニスが大好き。指をケガしたときも休みなさいと言うと『ボクからテニスとサッカーとゲームを取ったら、死ねということだ』と(笑)。小学生のときから“世界一”を本気で考えていました」
中学時代の担任だった松浦亮教諭が語る。
「勉強の成績もよかったです。とくに英語は頑張っていました。それもすべて世界で戦うためだったのでしょう」
13歳でアメリカへ留学。「シャイな性格も、アメリカに行ったころから変わってきました。テニスで結果を出せるようになって自信がついたのだと思います」と、母親の恵理さんは、かつて本誌の取材に答えていた。錦織選手の挑戦はまだまだ続く。