「羽生選手の捻挫した右足首は入念にテーピングで固められていました。彼は公開練習前に『右足首は自分の中では問題ない』と話しています。その言葉は“みんなが心配する捻挫でも自分はきっと演じきれる”と言い聞かせているようでしたね」(現地ジャーナリスト)
世界選手権連覇ならず惜しくも2位に終わった羽生結弦(20)。昨年12月末、スケート連盟は羽生が尿膜菅遺残症の手術を受けたと発表。約2週間の入院治療と約1カ月の安静が必要とされた。1月中旬に羽生は退院し、仙台市の自宅に戻り療養を続けていたようだ。
「本来なら退院から1カ月は安静期間。でも本人の『少しずつ体を動かしていきたい』という希望から、療養中にもかかわらずトレーニングを開始しました。その焦りもあってか、練習再開直後の1月末に右足首を捻挫してしまったのです」(仙台のスケート関係者)
連盟が羽生の右足首捻挫を発表したのは、2月中旬。
「捻挫を見てもらうため病院に向かった羽生選手は、お母さんに、『今シーズンは不幸な出来事が多いね』と悲しそうに漏らしていたそうです。彼の右足首の捻挫は重傷でした。ケガ直後の数日は車いすを使用し、歩行もままならない状態だったんです」(スケート関係者)
本格的な練習を始めたのは3月の初め。世界選手権まで残り3週間。通常であれば欠場を決断するのが普通だが、羽生は出場に向けて再起へのトレーニングを続けたという。
「歩けない状態からは回復した羽生選手ですが、体調は万全ではなくリンクに立つだけでもやっとでした。それでもファンの前で演技を披露したいという一心からリハビリを続行。オーサーコーチはカナダにいて不在。大会直前、コーチなしでのトレーニングは異例中の異例です。連盟からのサポートもなく、たったひとり。羽生選手は孤独とケガの苦悩と闘い続けていたのです。“演技を披露する、その覚悟が出来た”という言葉には、迷いを吹っ切るため自分自身に言い聞かせる思いもあったように見て取れます」(スケート関係者)
年末の手術から捻挫……。襲ったアクシデントに、羽生は弱音を吐かず、トレーニングを続けてきた。そして、たどり着いた出場は絶望的と言われていた世界選手権のリンク。
これは、羽生の“不屈の魂”が生んだ奇跡だった。