隔週連載《中山秀征の語り合いたい人》。今回のゲストは、今やテレビで見ない日はないほど多忙な“話術の天才”、千原ジュニア(41)。事故からの復帰を決意させたモノを語った。
中山「若き新進系の芸人として出てきて、これからっていうときに、大きな事故があって」
ジュニア「本当に顔面がぐっちゃぐちゃだったんで、ICU(集中治療室)に来たマネージャーさんに、『ジュニアさん、放送作家になりましょう』と言われて。僕も鏡を見て、舞台に立つのは無理やなって感じで。そこから病院でいろんな芸人のネタを頭の中で構成して。作家になるんやなと思ってましたね」
中山「表舞台は無理だと腹をくくったんだね。何年目くらいの出来事だった?」
ジュニア「東京に出て2〜3年くらいで、やっとこれからというときに半年くらい入院して。一般病棟に移ると、ひっきりなしに先輩後輩が見舞いに来てくれはったんですよ。僕はしゃべられへんし、ベッドに寝てるだけだったんですけど、いろんな人がバカ話をしていくっていうのが毎日続いて。それを見ていて、やっぱりどうしても表舞台に戻りたいなって思いましたね」
中山「刺激を与えられたんだね」
ジュニア「東野幸治さんは、当時『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーをやられてはって、番組前にも、番組終わりでも来てくれたりとか。すごいしょっちゅう来てくださったんで、後から聞いたら、家に帰りたくない時期だったみたいで(笑)。そのときに『あるルートから入手したから見ろ』と言ってくださった1本のビデオテープがあって」
中山「当時はまだVHSですか」
ジュニア「『パペポTV』(日本テレビ系)っていう笑福亭鶴瓶師匠と上岡龍太郎さんがやっている番組の最終回のノーカットビデオだったんです。上岡さんが引退されるということで、鶴瓶師匠が隠しゲストに島田紳助さんや、明石家さんまさんを呼んでいて。しゃべり倒して、それぞれ違うアプローチで爆笑をとっているのを見て、オレはそっちに戻ろうって確信しましたね。そこから手術をいっぱい受けて」
中山「完治するまでに1年以上かかったんだよね。葛藤もずっとあったんじゃない」
ジュニア「とにかくウケたいっていうのがありました。しゃべれないし、ずっと抑圧されてたから、退院したらボケ倒して」
中山「今考えたら、事故の経験がジュニアのパワーになったんだね。順調にやれてたらそこまで強い思いにはならなかったかもしれない。復活したときのことは?」
ジュニア「覚えてます。トークライブだったんですけど、事故のことを話したらどっかんどっかんウケましたよね」