祝言の日にすら、ふらりといなくなって、新婦をひとりぼっちにしてしまう−−。連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)で、主人公あさ(波瑠)の夫となる新次郎(玉木宏)の“あほボン”ぶりに、さっそく注目が集まっている。
あさのモデルとなったのは、幕末から明治、大正を駆け抜けた広岡浅子。日本初の女子大となる日本女子大学の創設や、大同生命保険の創業に尽力した女傑だ。とすると、ドラマの新次郎のモデルは浅子の夫である広岡信五郎となる。
いったいどんな人物だったのだろうか?関西に住む、信五郎の孫(長男・松三郎の息子)にあたる、広岡信一郎さん(87)に聞いた。
「祖父は私の生まれる前に亡くなっていましたので、人柄などはよくわかりません……。ただ、謡曲が大好きで、その腕前は大したものだったということだけは聞いています」
ドラマの原案本『小説土佐堀川』(潮出版社)の著者である古川智映子さんも、信五郎は“趣味人”だったと言う。
「当時の資料を見ると、確かに信五郎は芸術的な素養があったようです。家を留守にすることが多く、近所の若旦那衆と連れだって、謡曲や茶の湯などの習い事にふけっていたと伝えられています」
自由気ままな生活が許されたのも、豪商・加島屋の御曹司だったから。大同生命保険の前進となる加島屋の歴史は、1625年、初代となる広岡久右衛門正教が大坂・御堂前で精米業を営んでいたことから始まる。
「その後、現在の大阪本社ビルのある江戸堀に商売の拠点を移しました。4代目の正喜が、全国から集まる米取引を行う『堂島米会所』の総責任者の1人に就任するまでに、家業は大きく成長。以降、天下の台所といわれた大坂で、鴻池屋と並ぶ豪商として経済の一翼を担っておりました」(大同生命保険・広報部)
信五郎は加島屋8代目当主の次男坊。早くから分家に出された身とはいえ、同じ敷地に住み、いずれ当主となる弟の正秋を補佐しなければならない立場だった。だが信五郎は、加島屋の看板にあぐらをかいて、商売への関心も将来への危機感もゼロ……。17歳で嫁いだ浅子は、その放蕩ぶりに愕然とする。大正7年に出版した著書『一週一信』(婦人週報社)で浅子は、こう振り返っている。
《富豪の常として、主人は少しも家の業務には関与しないで、万事、支配人任せで、日ごと(略)遊興にふけっているありさま。(略)“一朝事あれば、一家の命運を双肩に担って自ら立たなければならない”と意を決し、準備を始めた》
“あほボン”に成り代わって家を支えようと、浅子は覚悟を決めたのだった……。とはいえ、誰よりも浅子を愛し、浅子を応援した信五郎。朝ドラではどのように描かれていくのか、目が離せない!