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NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』がスタートした。物語は昭和5年、10歳のヒロインの小橋常子(高畑充希)が、“とと(父親)”を亡くすところから始まる。常子は父に代わって母親と2人の妹を守る“とと姉ちゃん”となり、出版社を立ち上げ一世を風靡する生活総合月刊誌『あなたの暮し』を出版する−−。

 

ヒロインのモチーフとなったのは、現在も刊行されている雑誌『暮しの手帖』を作った大橋鎭子さんの人生だ。’48年、“庶民が少しでも楽しく、豊かな暮しができる知恵がつまった雑誌を”と創刊された『暮しの手帖』。最盛期は発行部数100万部。

 

自他ともに認める“おせっかい”だったという大橋鎭子さん。そんな大橋さんの人柄を、妹・晴子さんの娘婿である阪東宗文さんと、’60〜’84年まで編集部員だった小榑雅章が語ってくれた。

 

【“おせっかい”が企画のもと】

’54年、『暮しの手帖』で伝説的な企画が誕生する。さまざまな家電や家庭用品をメーカーごとに比較する商品テストだ。

「好景気で男女ともに仕事に追われていた時期です。読者に代わって商品を吟味したい、読者が騙されないようにしたい、そんな思いから生まれた企画です。電気コードをコンセントから抜き差しするテストも、あえてひねってみるなど、あくまで読者の視点。弊誌が現在に至るまで広告を掲載していないのは、企業の宣伝に惑わされず、独自に批判したいという鎭子さんや編集長・花森安治さんの考えがあったからです」(阪東さん)

 

【“手タレ”を買って出る】

“読者にわかりやすく”が編集方針。料理企画でホットケーキの作り方を記事にするときも、粉のふるい方、卵の黄身と白身の分け方、泡立て方に至るまで、写真で説明した。

「手元を写すなら男性よりも女性のほうがいいと、鎭子さんは手のモデルとして登場。日本初の“手タレ”かもしれません。いつもハンドクリームを塗って夏場でも手袋をしていました。手を荒らさないためでしょう。料理はほとんどしたことはないそうです」(阪東さん)

 

【面倒見のよい“とと”のよう】

「私が花森さんと仕事でぶつかって落ち込んでいると、必ず鎭子さんが、私が一人のときを見計らって『ご飯を食べにいきましょう』と言って元気づけてくれました。『辞めてやる!』と辞表を出したときは、鎭子さんが家まで押し掛けてきて『何でも言うことを聞くから、お願いだから辞めないで』と−−。社長がそこまでしてくれるなんてと感激しました。忘れられない思い出です」(小榑さん)

 

【姪のお見合いにも同席】

「’77年、私がある人の紹介で妻と初めて会ったとき、てっきり一人でやってくるかと思ったら鎭子さんが一緒でした。妻の母親ではなくて叔母だったので二重に驚きました(笑)。人と人の間を取り持つのが好きな人なんですね。妻の祖母は結婚に難色を示していましたが、それを説得してくれたのは鎭子さんでした」(阪東さん)

 

【90歳を超えても毎日出社】

鎭子さんは’13年に93歳で亡くなるのだが、その9カ月前まで毎日、会社の1階にある顧問室に通勤し、外階段を上って、若い編集部員を激励するのが日課だった。

「階段を下りるときはスタッフが付き添いますが、最後の1段をピョンと飛び降りる。ホントに“お元気”でした。ただ、話し好きで顧問室にちょっとした用事で顔を出すと、必ずお茶やらお菓子を出されて足止めされました」(阪東さん)

 

人を大切にする“とと姉ちゃん”の周囲は、最後まで笑い声が絶えなかったという。

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