「お母ちゃんががんで亡くなる前に入院していたときも、明菜は一度も見舞いに来なかったんです。仲の良かった早見優ちゃんは何度も病室に来てくれたんだけどね……。末期がんに苦しみながら、お母ちゃんは『明菜は薄情だ』って涙をこぼしていました。お母ちゃんのお通夜のときもあの子は来るだけは来たけれど、すぐに帰っちゃって……」
中森明菜(50)の父・明男さん(82)は、そう言ってため息をついた――。記者が東京都清瀬市に住む明男さんを訪ねたのは5月1日。ちょうど明菜のデビュー35周年の記念日だった。明男さんの手には、デビュー当時に一家が揃って撮った貴重な家族写真があった。
「このときはまだお母ちゃんも元気でした。明菜が抱いている小さな男の子は、いまでは結婚して子供もいる甥っ子。思えば、月日はあっという間に過ぎてしまっていたんですね。以前、恥をしのんで『女性自身』さんに身内の話を打ち明けました。そのとき話したとおり、お母ちゃんが死んでから21年間、私たち中森家の人間は誰ひとり明菜と会えていないんです」
父としてのつらい胸中を、切々と訴える明男さん。これまで、明菜にとって母・千恵子さんは誰よりも大切な存在だと言われてきた。千恵子さんが眠る菩提寺の住職によれば、明菜は命日にたびたび墓参りに来ているという。千恵子さんの死後、明菜と中森家の親族との間に生まれた断絶。その原因は、母が生前に言い残していた「中森家の墓には入りたくない」という遺言にあったと、かつて本誌は報じた。だが――。明男さんが今回本誌に明かしたのは、秘められてきた“家族の実像”だった。
「初めてお話しすることですが……。お母ちゃんが亡くなる少し前のことでした。明菜の所属事務所の人間が2人来て、『明菜が中森家の戸籍を抜けたいと言っている』と突然言ってきたんです。もちろん私は『そんなことはできない』って突っぱねました。だって、明菜本人から一度もそんなことは聞いていなかったですからね。その後、明菜本人か、事務所の人間か、どちらが市役所に行ったのかはわかりませんが、あの子は勝手に家族の戸籍から、自分だけ籍を抜いてしまったんです……」
さらに後日、明菜の荷物も、事務所の人間が来てすべて持ち去っていったという。この極めて“異例な決断”は、いったい何を意味しているのだろうか。
「籍を抜くことは『分籍』という手続きになりますが、法律的には特別な意味はありません。単に戸籍を2つに分けるだけの意味しかなく、法律的に親子の縁が切れるわけでもありません。ただ、それでもやったということは、明菜さんの強い“意思表示”として、親子の縁を切った、と示したかったんでしょう」(民事に詳しい弁護士)
何より驚くのは、母・千恵子さんが亡くなる前から、明菜が中森家との縁を切ろうとしていたという事実だ。明菜ファンなら知るとおり、そもそも芸能界に興味がなかった明菜が歌手を目指したのも、若いころに歌手志望だった母・千恵子さんの夢を「自分がかなえる!」と決意したから。そんな明菜が、末期がんになった“最愛の母”の見舞いすら行かず、生前から“親子の縁”を切ろうとしていたとは――。父・明男さんは言う。
「私ももう、子供たちには『私が死んでも、明菜には知らせなくていい』と言っているんです。でもね……私ももう82歳。やっぱり、死ぬ前に明菜に会いたい。そう思って、今年に入って2度『どうか顔を見せておくれ』と書いた手紙をしたためたのですが、出すことができず、破ってしまいました。写真を見るたびに思うんです。このころに戻れたら、どんなにいいだろうって……」
明菜が閉ざされた心を肉親に開く、その日はやってくるのだろうか――。