5月16日、東京・青山葬儀場で蜷川幸雄さん(享年80)の告別式が営まれた。「鬼の蜷川」という異名も持ち、スパルタ指導でも知られる蜷川さんが見出し、輝きを与えた原石は数知れない。今年3 月に日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞した二宮和也(32)も、その1人だ。
《今回の訃報を聞き、驚きました。本当に強い、熱い、情熱を持っているお方でお芝居というものを教えてもらいました。本当にお疲れ様でした》(二宮)
蜷川さんと二宮、2人の出会いは14年前にさかのぼる。
「’03年に公開された映画『青の炎』で蜷川さんは監督を務めました。その主人公を演じたのが、当時19歳の二宮だったのですが、まだ俳優としての実績も少なく、“人気アイドルが蜷川に抜擢された”といった報道が多かったですね」(芸能関係者)
だが最初の台本読み合わせは惨憺たる有様だったという。どうしてもテレビドラマ風のイントネーションになってしまう二宮に、蜷川さんは厳しい言葉を放った。
「いまは『嵐』じゃねえんだぞ。本当の二宮君を見せろ、隠された喜怒哀楽を出せ!」
そして蜷川さんは、こんなアドバイスをしたという。
「怒っているときや悲しいときでも、逆に笑ってみせるほうが、より感情を表現できることもあるんだ」
二宮はそんな蜷川さんの一言一言をまるでスポンジが水を吸い込むように、どんどん吸収していったのだ。無事撮影が終了したころ、蜷川さんは教え子・二宮へのメッセージをつづった手紙を本誌に公開している。
《いざ読み合わせすると下手で最悪、家へ帰って女房に言ったんだよ。「二宮君、下手でさァ」って(笑)。でも撮影に入ったらすごくよかった。勉強したんだね。頭よくて勘もいいから、“こうならないかな”って言うだけでわかってくれて、あとはほっとけばよかった》(本誌’03年3月25日号)
“世界のニナガワ”の指導で二宮は役者として覚醒する。この手紙も、彼にとって大きな自信となったに違いない。3年後の’06年には映画『硫黄島からの手紙』に出演し、その演技力がアメリカでも高い評価を受けた。‘03年、本誌が映画会社で『青の炎』について、蜷川さんをインタビューしたときのことだった。
「ニノはね、すごいんだよ」
ニコニコしながらそのセリフを連発する蜷川さんへ挨拶するため、取材現場に現れたのが、藤原竜也(33)だった。藤原といえば、’97年に蜷川さんが演出した舞台『身毒丸』でデビューしており、“蜷川門下生”の代表格だった。そして彼が立ち去った後、蜷川さんは笑ってこう言ったのだ。
「アイツさ、実はニノに嫉妬しているんだよ。『青の炎』の撮影現場を見に来たときに、オレが『ニノの(演技が)がいいんだよ』なんて、言っちゃったものだからね。だから今みたいに、こまめに挨拶に来たり、本当に困っちゃうよね」
その心底楽しそうな口ぶりからは、弟子たちへの深い愛情が感じられた。‘11年の蜷川さん演出の舞台『あゝ、荒野』には嵐・松本潤が出演した。
「劇場には、二宮君もやってきて、蜷川さんに挨拶をしていました。蜷川さんは『また何かやろうよ』と誘いの言葉をかけ、それに二宮君もすごく乗り気でした」(舞台関係者)
実は蜷川さんの二宮への“手紙”はこんな言葉でしめくくられている。
《また一緒に仕事しような。早くしないと俺は死んじゃうぞ(笑)》
“約束の舞台”は実現しなかったが、蜷川さんからの魂のメッセージは二宮の俳優人生を炎のように照らし続けるに違いない。