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昭和の時代も終わりを告げようとしていた’88年4月、SMAPは結成されました。それから28年−−。SMAPは、この平成という時代をどのように駆け抜けてきたのだろうか。私たちに夢を与え続けてくれた28年間を振り返ります。

 

「それまでのジャニーズのアイドルは、10代のデビュー直後から“絶頂と短期の活躍”を繰り返すものでした。すぐにトップに駆け上がり、数年の絶頂期を経て、後輩にその座を譲り渡す。しかしSMAPは幸か不幸か、デビュー当時はまったく売れず、コアな女性ファンからジワジワと広がっていきました。しかも、ブレークしたのはメンバーが20歳を過ぎてからでした」

 

こう語るのは、少子化ジャーナリストで相模女子大学客員教授の白河桃子さん。SMAPがデビューしたころは、歌番組の衰退期にあたる。’89年には『ザ・ベストテン』、’90年には『夜のヒットスタジオ』など、数々のアイドルを生み出してきた歌番組が相次いで終了した。

 

「平成の黎明は『アイドル冬の時代』。歌番組がなくなっていくなかで結成されたSMAPですから、認知度を高めるためには、バラエティ番組に生きるすべを求めざるをえなかった。当時は“バラドル”という言葉が生まれたころ。’92年にフジテレビのバラエティ番組『夢がMORIMORI』にSMAPが出演したのも、ある意味、苦肉の策だったのです。それにしても、まさかジャニーズのアイドルが女装したり、コントをやったりするバラエティ番組に出てくるとは思いませんでした」(白河さん)

 

「アイドル冬の時代」−−。SMAPが活路を求めたのはバラエティだけでなかった。それぞれがドラマや舞台に進出。この活動が、後に俳優やキャスターとして幅広く活躍する原動力にもなったようだ。

 

そんなSMAPを、作家でアイドル評論家の中森明夫さんは、これまでの“アイドルグループ像”を大きく変える存在と感じていた。

 

「SMAPの魅力は、個性あふれる活動をそれぞれバラバラにこなしながら、1つにまとまってもいいところ。日本では集団になると“個性”がなくなるもの。サラリーマンはスーツ、高校球児は丸刈り、アイドルはド派手な衣装でまとまっていて、個性をあまり出せない。でもSMAPの場合は歌声もバラバラなら、中居くんの歌が下手なのもすべて個性。『ジャニーさんの話をしない』『普段着は見せない』というジャニーズのアイドルとしての不文律を次々と破ってきたのもSMAPです。そのカジュアルな身軽さは、平成の時代が求めていたものでした」

 

それを象徴する番組が、’96年4月から20年以上にわたって放送されている『SMAP×SMAP』だ。

 

「ゲストを招いて料理を振る舞ったり、体を張ったコントに挑んだりする。そんなノリのよさが、女性ファンだけでなく男性にも“身近な存在”として受け入れられた。ファン層を広げられたことは大きいと思います」(中森さん)

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