「この1年も、いろいろあったわが家ですが、家族のありがたみを知ったのは、やっぱり夏の都知事選のときです」
政治家への転身が取りざたされたり、2人目の子供が誕生したり、公私ともに激動だった石田純一(62)が家族とともに歩んだ1年を振り返った。
昨秋、国会前の安保法案反対デモに参加して「戦争は文化じゃない」と、自身の「不倫は文化」発言をもじったスピーチで注目を集めた石田。今年7月には都知事選への出馬が注目されるも、結局出馬せず。その背景には妻の東尾理子(40)の“大反対”があったと報じられていたが、事実はこうだったという。
「『反対のフリじゃなくて、本当に反対だからね』と、理子からは言われました。まずは子供が小さかったこと、あとは僕の健康のことや、『これ以上注目されて叩かれてどうするの』という不安もあったでしょう。ただし僕自身、2児の父親になって、子育てする人が気持ちよく暮らせる東京を作ることに関しては、誰にも負けない自信があったんです。
騒動の次の週には、ウチの家族とママ友家族がハワイに行くことになっていたんですけど、理子たちは予定をキャンセルすることも考えていたんです。彼女は立候補に備えてママ友たちと『そのときは手伝わなくちゃいけないかな。旅行はやめますか』って、言っていたみたいで。それを初めて聞かされたときはホロッときました」
なにがあっても妻は応援してくれることがわかって心強かったという。
「11月5日の誕生日で長男の理汰郎が4歳になりました。七五三をやるには早いと思いますが、0歳の子のお宮参りを兼ねて誕生日の前日に行ったんです。いつもやんちゃな子が、着物を着てお辞儀をしている姿をうしろから見ると成長を実感するし、改めてかわいいなと思いましたね」
「家族」について語るときはパパの顔になる石田。いたずら盛りの長男の理汰郎くん(4)と、生後7カ月の長女・青葉ちゃんの子育てはたしかに大変そうだが、ここでもしっかり者の妻の理子の存在が大きいという。
「最近は仕事場に連れて行くこともけっこう多くて。妻と一緒に出演するイベントで、僕だけは事情があって先に家を出たんですが、客席を見たら青葉を連れた理子がいてびっくりしました。育児と家事と仕事の両立を、いつも笑顔でこなしています。あの根っからの明るさとタフさには、僕も救われます」
パパとママになるまで、夫妻には足かけ2年間の苦悩に満ちた不妊治療の日々があったことを思えば、今は苦労より喜びのほうが多いに違いない。最近、子供たちの寝顔を見ていて、さらに将来について真剣に考えるようになったと打ち明ける。
「平和ボケといわれる日本の社会ですが、自分の夢は、この70年間続いた平和で安全な国を、子供たちや次の世代にバトンタッチしていくこと。デモで『戦争は文化じゃない』と発言して、そこばかり使われましたが、背景にはこんな思いがあります。太平洋戦争で『将来は音楽家になりたい』『野球選手になりたい』という夢をもっていた青年の多くが死んでしまったんですね。戦争は夢や生活を奪うもので、けっして文化じゃない。
政治家になることで、叩かれる度合いが何十倍にもなるだろうし、収入が減るかもしれないとか、妻からしたら心配が多いでしょう。これからの僕の役目は政治家にはならなくても、そういう平和を伝えるメッセンジャーになれればいいなと。映画製作もやってみたいし、メディアを通じて池上彰さんみたいにわかりやすく伝える方法もあると思います」
また、子供たちの新しい人生とつきあっていくという意味で、自分の人生は子供たちとつながっているという実感はあると語る。
「僕の人生も最終章なのかなとも思うし、だからこそ己の経験を子供たちに伝えて、よき相談相手になれるというのも、若いお父さんとは違う自分らしさとも思います。プライベートでは、子供がいても、たまには夫婦で旅行もしたいし、子供には無理強いしないで、ゴルフでもピアノでも好きなことをやらせたい。ゴルフは、理汰郎と行くんです。息子が行きたがるゴルフ場があって、受付の娘がかわいいんです(笑)。
用もないのに受付に行って女性の目の前でモジモジして『わぁ、かわいいね』なんて言われて。そのゴルフ場以外に行きたがらないっていうのは、僕に似ていますかね。まあ、うちには明るくて寛容なお母さんがいるから、子供ともどもこれからものびのびやらせてもらいます」